田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

公務員糾弾は、庶民のストレス発散には丁度良い

 まず最初に言っておくのが、自分の立ち位置である。
 私は、昔から公務員組合と対立してきた。
 役所の中のタバコの問題を取り上げると、職員の中にはタバコを吸う人もいるのだから、そんな職員にとって不利益なことは質問しないようにと言われた。
 公務員の給料の値上げに対して反対しようとしたとき、暗に別ルートから、反対しないようにと干渉された。
 これらは、私が民主党時代に受けた公務員組合からの圧力である。


 当時は、自民党や公明党でさえも賛成した公務員の給料の値上げ案に対して、私一人が反対した時代でもあった。


 しかし、最近では、「公務員叩き」がまるで流行のようになっている。これはこれで結構な社会的傾向ではあるのだが、行き過ぎに関しては、自らの中にブレーキとしての意識も同時に持たなければならないと心得ている。

 政治家は、その時々の流行に乗って言論を展開していた方が、どれだけ楽に政治活動ができるかを知っている。
 景気が悪いときは、皆が景気回復を叫んで、公共事業の拡大を叫んでいた。それが今では、無駄な公共事業は財政を圧迫するので良くないとなっている。
 政治家と言えども、世論から見捨てられれば、それまでの「ただの人」になってしまう。その恐れから、政治的な流行に乗りつつ、いや政治的な流行からは少し後れている位が丁度良い立ち位置となる。

 しかし、私はある意味、政治的な流行に流されることなく、むしろどんなに反対が多くても流行を作っていけるような言論を心がけたいと思っている。

 そのような私なりの立ち位置を確認した上で公務員問題を検証してみたい。

 あらためて言うまでもなく、これまで厚遇な公務員を批判し続けてきたのは、社会全体に不況感が強い中にあって、公務員の待遇だけがその影響を受けずに安定してきたことにあった。また、この様な価値観をより多くの国民と共有したいが為に私が主張してきたという意味もあった。


 今は、正にそのような時代になった。公務員が普通に批判の対象になるようになった。
 今ここで問う。このまま徹底して公務員を糾弾し続けていいのかと。
やはり公務員のあり方論なくして、公務員叩きを続ければ、公務員の社会的必要性を感じる人が少なくなり、なり手も少なくなってくることだろう。
 はたしてそれが国民全体の幸せにつながるのだろうか。


 私は昨今の犯罪者への厳罰化を望む世論の動向を見ていると、庶民が日々感じている漠然としたストレス解消の対象を探している結果が、公務員糾弾にもつながっているのではないかと思う。


 昔、小学校では、頭が良い者と頭が悪い者が同時にいじめの対象になっていた。それが大人になっても同じような事が起こっているとは考えられないだろうか。
 高額所得者は高額所得者で、もっと税金を払うようにと叩かれる対象となっている。低所得者で生活保護を受けている人は、無駄に税金を使うなと叩かれている。
 公務員は税金で良い暮らしをしていると言って叩かれる対象となっている。生活保護者は、税金で日々の生活が保障されているとして叩かれる対象になっている。
 犯罪者はその者を刑務所に長く留め置くと、それだけ税金がかかるのだから、死刑にしろと言われる。


 税金の無駄遣いを削減していくという志向は良いのだが、その動機は、庶民が日々感じるストレスの発散にあると思う。
 それだけこの世はストレス社会なのだろう。


 とにかく叩ける者は何でも叩く、そうやって、叩いて叩いて、自己のストレスを発散させながら生活をしている庶民像を、この日本で数多く想像できるのだが、これ以上の過度な公務員叩きは、これまで率先して公務員を叩き続けてきた私から見ても少々行き過ぎの感はある。
 改めて言うまでもなく、公務員叩きを庶民のストレス発散の道具に使ってはいけない。


2010年08月19日