カンボジア旅行を体験して
議員の海外視察が無くなって、何年経つのだろうか。
私はどんなに評判が悪くても、自分の評価が下がっても、議員の海外視察を擁護し続けてきた。やはり議員さんは、海外に行って見聞を広げてきた方がいい。
その理由を以下に簡単に述べる。
① 今でも委員会視察と称して、国内の視察は行っている。なぜ国内が良くて、海外がダメなのか理由がハッキリしない。
② 以前の江戸川区議会は、4年に一度だけ議員が海外視察を平等に体験できる制度になっていた。それが今は、オーストラリアのゴスフォード市に親善視察と称して、自民党や公明党の大会派のメンバーだけが公費での視察を行っている。これは不平等ではないだろうか。
③ 何よりも国内以上に、海外での体験を通じて、見聞を広げられる。このように議員が勉強することに対して、経費の問題を除けば、それを否定する理由がない。
と言うことで、私は毎年のように海外へ行っている。
今回はカンボジアに行ってきた。
最初は、ミーハー的感覚で、有名なアンコールワットを見に行こうという主旨だったのだが、やはり遺跡を見るだけで終わる視察ではなかった。
私は現地のガイドから、その国がこれまで背負ってきた歴史的な話を聞くことが大好きである。現地のガイドであるから、日本語は堪能であり、そこに言葉の壁はない。また総じて、現地のガイドはインテリである。これは書物を読んで得た知識ではなく、現地の人から直接聞いた話である。
カンボジアと言えば、やはりポルポト時代を避けて語ることはできない。ポルポト派は自国民を300万人殺したと言われている政治集団である。それ政治集団が権力を握った時、首都プノンペンの人たちは、これまでの政治体制を打破したということで、ポルポト派を歓迎した。
まずこれからの国作りのために必要な人材と言うことで、優秀な人たちを募った。そして、そのような知識人を殺した。殺害を逃れた一部の知識人達は、自分が愚鈍であることを演じなければならなかった。しかしそれも密告などによって捕まっては殺された。
都市住民は地方農村部へと追いやられた。都市住民はこれまで農業などをしてこなかった者達である。いきなり農業をやれと言われてもうまくいかず、そのミスマッチによっても多くの人たちが死んだ。
ポルポト自身は若かりし頃フランス留学をしたインテリであったようだが、インテリこそが政権を打倒するという考えからか、自らが打倒されることを恐れ、徹底して知識人を殺したという。
ポルポト派の人たちは、カンボジアの中でも首都プノンペンより南側にあるタケオ県に住んでいる人たちだった。アンコールワットがあるシェムリアップの人たちからすれば、タケオの住民とは、悪い人というイメージがあるという。
ポルポト派がどれだけ残虐だったかを表すエピソードがある。
普通、カンボジア人が人を殺す場合、殺す相手に目隠しをして、後から後頭部を殴って撲殺したという。
これがポルポト派の場合だと、生きたまま、火の中に入れて殺したという。
日本人からは全く解らないのだが、現地の言葉の違いからして、シェムリアップに住んでいるカンボジア人とか、プノンペンから来たカンボジア人とか、現地の人たちにとっては、その違いがわかるらしい。
この様な話を聞くと、嫌でもカンボジアについて、またポルポトについて、そして知識人を冷遇した社会が、将来どのようななるのかという事も含めて興味関心を持つようになる。
現在のカンボジアは、ポルポト政権の影響で、相当近代化が遅れてしまった。人によっては10年前のベトナムと言う人さえいる。
この様な興味関心も、海外旅行を通じてこそわき上がってくるものであり、私はこれからも海外視察を続けていくことだろう。
2010年08月20日