考えさせる授業
9月1日から私が所属する文教委員会による行政視察が始まった。
初日の今日は、宮城県登米市北方小学校に行った。
考える授業を見せてもらった。
色々な教科の授業を見せてもらったのだが、私が関心を持ったのは社会の授業だった。
設問「大名行列が行われるようになったのは、なぜだろうか」
このような課題に対して、子どもたちは色々な意見をあげた。
買い物、行進、パレード、大名のことを知らせる、お出かけ、パトロール、江戸に行く、江戸からどこかへ行く等々、色々な意見が出た。
正解を簡単に書く。
大名にとっては、自分たちの力を誇示するための行為。
幕府にとっては、大名の財力を削ぐための目的を持つ。
しかし、この授業で正解は関係ないと私は思った。この授業の狙いは子どもたちに自由な発想を養うための位置づけにあったからだ。そうなれば、私の価値観からすれば、正解は邪魔でこそあるように思われた。
授業を参観後、私は教務の先生に質問をした。(実際に授業をした先生ではない)
学習目的に沿った「考えさせる授業」とは、子どもたちの自由な発想を養うことにこそ意味があると思います。しかし、今回見せてもらった「大名行列が行われるようになったのは、なぜだろうか」という授業では、そこには明らかに正解が存在するわけで、考えさせる授業と言うよりは、単に知識量を計るだけの授業にならないだろうか、という懸念があります。
また、最後に正解がある設問は、自由奔放に発想した子どもほど正解からほど遠い回答をしてしまいがちです。結果として「間違った」ことから、本人が恥を感じ、以後、その子が消極的になってしまう可能性すらあります。
考えさせる授業が想像力を養うことに主眼を置くならば、例え正解から大きく外れた誤答だとしても、大人が思いもつかないような、その自由な発想こそ誉めたたえる評価法が、授業の中にこそあっても良いかと思いますが、いかがでしょうか。
考える授業というテーマはとても良いのだが、それを実際に行うのは、そう簡単なことではないと実感した。
2010年09月02日