過密は罪。この広すぎる小学校を見よ。
東京は過密都市。過密は悪い。私はずっとこの様に言い続けてきた。
それにも関わらず、江戸川区の人口は、1995年当時、59万人だったのが、2010年には、68万人になってしまった。この15年間で9万人も人口が増えたのだ。実に年6千人ずつ人口が増えてきた計算になる。
はたしてこれで江戸川区民一人一人の生活は質的に向上したのだろうか。
鶴岡市立朝暘第一小学校を視察して、その圧倒的なゆとりある校舎を見ると、これこそ素晴らしい敷地利用だと思い知らされた。
江戸川区の場合、小学校の敷地面積はざっと8,000㎡だという。同じく中学校は、ざっと10,000㎡だという。
それに比べて、この朝暘第一小学校の敷地面積は、24,000㎡。江戸川区の小学校比で言っても、実に3倍も違うのである。校長先生の話では、これでも、鶴岡市の中では、狭い小学校なのだという。全くもって驚くしかない。
どんなに東京人が、名目的に収入と財産をたくさん持っていたとしても、実質的な生活の質という面では、到底地方の生活環境に及ばないという、これはほんの一例である。
ゆとりある学校空間の中で、飛び跳ねて遊んでいる鶴岡の子どもたちを見ていると、江戸川区の子どもたちは、何と狭くて貧しい学校空間の中でしか、遊べないのだろうかと、嘆かわしくなってくる。
別に私は東京を、江戸川区を、地方と同等の人口密度にしろと言いたいのではない。合理性や利便性ばかり追及して、一人一人の生活の質を向上させてこなかったことが、今回のような「学校の敷地面積の狭さ」を作ってしまった。その反省に立って、少しでも地方都市のような、広い空間を都市部であっても手に入れる努力をしてみてはどうだろうかと提案したい。
少なくとも、より多くの江戸川区民には気がついてもらって、江戸川区という都市を少しでも、地方都市のようなゆとりある生活空間にするための工夫を今からでも考えていかなければならないと私は考える。
そのためには、この増えすぎた人口を何とかしなければならない。江戸川区の面積49k㎡で、68万人という人口である。人口密度は、ほぼ14000人/k㎡となる。これをせめて、1万人/k㎡ぐらいにまで抑えたい。数字だけではイメージがわかないと思うので、実際に人口密度10000人/k㎡の都市名をあげると、現在の調布市や小金井市が、丁度、その程度の町並みにあたる。過密には違いないが、高層マンションがそれほど多くない町並みのイメージである。
しかし、そのような目標でさえ、実現しようと思えば、68万人の江戸川区の人口を、これから約20万人も削減しなければならない。とても現実的な数字だとは思えない。他人が言うより早く、私自身がそう思う。
それでも、今までとは方向性が逆の、この様な価値観を持たなければ、人口は増えるばかりで、区民1人1人の生活環境は、一向に良くはならないのだ。
「過密は悪い」
「区民一人一人にゆとりある生活環境を提供する」
この2つの価値観をこれからの行政の基本姿勢に改めることができれば、それにあった政策を順次打ち出していくことは可能である。
特定の地域から、人口を意図的に減らすとなると、何か悪いイメージのように聞こえるかも知れないが、私が言いたいのは、これから百年後までの間、日本の人口が減っていくマイナス局面にあって、それでも都市部だけの人口が、これからもドンドン増やしていくことは正常な国土利用なのですか、ということだ。それよりも日本全体を見渡して、集中ではなく、分散型の国土利用を考えれば、都市に集中した人口を、意図的に地方へと移し替えることができるのではないのか、ということを言いたいのだ。
私は政策誘導によって、江戸川区に住んでいる過剰人口の部分に関しては、自主的に地方へと引っ越してもらえるようになると思っている。
私は江戸川区の小学生、中学生には、鶴岡の平均的な小学校ぐらいの敷地面積をもった学校で学んで欲しいと真剣に思う。
地方と都市における教育環境の格差を目の当たりにして、より多くの議員たちが、「過密が悪い」という価値観を共有してもらえたら、どれだけこれからの江戸川区民一人一人の生活が向上するだろうかと思うのだ。
よく日本は中国に抜かれて、GDP世界第3位の国になってしまったとの報道がある。でも、これを日本国民は気にすることは無いと思う。それよりも、これからの日本は、国民1人あたりのGDP世界第1位を目指すような国になっていくべきなのだろう。
国全体で見るのではなく、国民1人あたりで物事を見るように、これからの江戸川区は、たとえ人口が減ったとしても、区民1人あたりの生活の質的向上は保証されるような行政運営を心がけるべきだと考えている。
2010年09月04日