日記の遅筆について
私は自分の性格からして、自らが自らを追い込まないことには、何も動きはしないだろうということを知っている。
日記というのは、1年365日分の文章を書けば、それで十分なのだが、実際に書いてみると、この365日分の文章というのが、結構、難しい。
日記という形式を取ってはいるが、私としては、この1年365日に1回分ずつ文章を書くというイメージで、この日記に取り組んでいる。駄文であっても、365回位書き続けていけば、私がどのような人間であるかを、少しは、読者に理解してもらえるのではないかという思いからだ。
よって、日記であっても、毎日一文ずつ書き続けているわけではなく、時に、まとめて日記を書き、毎日書いているように何とか帳尻を合わせた記述も、よく行っている。
とにかく、「1日1文」
これを、最低限の私のノルマにしたいと思っているのだが、実際は、その目標に近づきつつあるものの完全には実行できていない。
私の月刊紙も「月刊田中けん」と銘打ったのは、月刊をお約束しての題名ではなく、「月刊で発行しなければ、自ら嘘つきになりますよ」という戒めを込めてつけたタイトルであって、実際、月刊であった試しはない。それでも、そのプレッシャーがあったからこそ、前期で言えば、年8回平均の発行回数が実現できたのだと思っている。
以前、読者から
「 お忙しいとは思いますが、自身の政策を丁寧に語ってほしいと思います」
この様なご指摘を受けた。全くその通りで、私の文章は、穴だらけで、とても正確な記述とは言えない。
しかし、正確さを重視していては、私の日記は1日分も進むことを止めてしまうだろう。このように言い訳して、何とかこの「未完成、不正確」な文章を許容して欲しいとお願いした。
その分だけ、もし日記と重複する文章を「月刊田中けん」に掲載するときは、より丁寧に文章を作っていこうと思っている。
日々発信していく文章と、月々で発信していく文章では、発信間隔が長くなる媒体を使った文章こそ、完成度を高くすべきだという、私なりの考えで行っている。
多くの読者には、是非、その点をご理解いただきたい。
2010年09月06日