将としての器
民主党の代表選まっただ中である。日本の総理大臣を選ぶ民主党の代表選について、私はあまり興味が無い。「どちらもダメ」という自民党的見解ではない。もちろん、「どちらかでないとダメ」という民主党的見解でもない。菅さんでも小沢さんでも、「どちらが首相になってもいいので、日本の国を是非よくしてください」という、一国民として平らな気持ちである。
さて、歴史上における実際の将がどのような「器の」人物だったのか、紹介されている文章を目にしたので、紹介する。
まずは徳川家康について。
(参考図書:CIRCUS【サーカス】2010年10月号 82頁)
家康というと「神君」のイメージが強いが、家臣たちが、家康に対して、上下関係もわきまえず、直接言いたい放題だったという話。
エピソードその1
関ヶ原の戦いの時、家康は「桃配山(ももくばりやま)」という主戦場後方に陣を布いた。
すると本多正重という家臣が、
「少し前へ陣取ってはどうでしょうか。これでは敵が遠すぎます」
と進言した。
これに対して、家康は
「口ばしの黄色いくせして、余計なことを言うな」
そう怒鳴りつけた。
すると、正重は家康の後ろに回って
「口ばしが黄色くても、遠いものは遠いのだ」
このように聞こえよがしに叫んだ。最終的には、家康は陣を進めて、戦場のど真ん中に布陣した。
エピソードその2
秀吉が天下人だった頃の話。
京の伏見で、家康が正重を伴って舞を見ていた。舞には「弁慶」が登場した。
舞が終わったとき家康は言った。
「武蔵坊弁慶は世にも優れた男だ。今の世の中にはいない」
それに対して正重が言った。
「いや、今の世の中には弁慶はいるけれども、義経のような主人はおりませんな」
エピソードその3
後年、正重は二代将軍秀忠付きになる。すると、家康の耳に、
「正重が直言しなくなった」
との噂が入ってくるようになった。そこで家康は、正重に対面したときに言った。
「どう思慮したのだ。身を慎んで直言しなくなったと聞いたぞ」
それに対して正重は言った。
「将軍様(秀忠のこと)は仕え良きお人ですから。あのような人に直言するのは、頭がおかしいというものですわ」
エピソードその4
家康が三河にいた頃の話。
城の庭にいた鳥を盗った小者に家康は怒り、この小者を牢に閉じ込めてしまった。
それを聞いた鈴木久三郎という家臣は、城の池に飛び込み、鯉を捕まえて食べてしまった。織田信長からもらった酒も「俺がもらったモノだ!」と言って呑んでしまった。家康は烈火の如く怒り、薙刀を手にして、久三郎を呼びつけた。すると久三郎は、「魚ごときを人に替えて、天下が取れるか」と吠えたという。
久三郎は、先の小者に対して、鳥を盗った程度のことで捕縛した家康の器量の小ささに怒っていたのだ。
家康は直ちに小者を釈放し、久三郎に向かってお礼まで言った。
家康の言葉。
「武功も直言もいずれも同じ功だ。しかし、武功は立てれば誉められるが、直言は多くの場合、主人に殺される。その殺されるのを覚悟して直言するのだから、直言こそが、一番の功名である」
マスコミの取材には誠実に応じ、野党からの質問に対して質問で答えることなく、国民からの言いたい放題も黙って受け止められる、そんな胆力を持った政治家にこそ、日本の総理大臣になってもらいたいものである。
政治家は、批判されるのが当たり前。批判に対して、それを許す度量が無い者が政治家になるとどれだけ国民が不幸になることか。
中国や北朝鮮のように、言論の自由が認められず、自国民が自国の政治を批判できないような国家を私が尊敬しないのは当然のことである。
2010年09月08日