民主党の代表選挙に関して
まずは菅首相の再選おめでとうございます。私にとっては直接面識がある初めての総理大臣なので、親しみは誰よりも感じています。
しかし、本来、民主党の部外者である私でさえ、日本の総理大臣を決める民主党の代表選挙についてコメントしなければならないと思ったのは、それだけ今の日本の状況が危ういからだという認識を持つからなのです。
選挙戦終盤になって、それまで「我関せず」の立場で、それほど興味を持つことがなかった民主党代表選挙について、強い興味を持ちました。それというのも、鈴木宗男氏の失職・収監という事態を受けて、このままでは、国民に選ばれた政治家が動かす日本ではなく、検察・警察が動かす日本になってしまうと言う危機感を持ったからです。
何度も言いますが、民主主義は国民による権力のコントロールを可能とする政治形態です。国民が政治家を選び、その政治家の中から指導者が生まれ、その政治家の権力によって国を動かして行く。これが間接民主主義を採用する、今の日本の真っ当な政治のあり方です。
しかし、官僚政治、特に「検察政治」とも言って良い、検察・警察という国家公認の暴力装置は、時に政治家をも捕まえてしまい、権力の源泉である国民の存在とは関係なく、立ち振る舞うことが多くなってきました。村木厚子厚労省元局長に対して、無罪判決が出たことは、検察権力の悪行を証明する1つの事例と言えましょう。
たとえが悪いかも知れませんが、ゴキブリの例にもあるように、一件の無罪判決があったと言うことは、たとえ無罪にならなくても、検察・警察は、これまで相当強引な取り調べをしてきたのだろうということが、想像できます。
足利事件で無罪判決を勝ち取った菅家さんのことを記憶している方も多いことでしょう。
「検察≠正義の味方」
この認識を、私はより多くの国民と共有したいと思います。
「政治家=悪党の代名詞」
この様に思われる方も沢山いるとは思いますが、この日本においては、政治家を選んで、国家を動かして行くのか、1つの有力な権力を行使する手段なのだと、改めて認識していただきたいのです。もちろん、検察権力も、この国会議員による政治権力の下に位置づけられるべき権力だということなのです。
しかし、検察・警察のような暴力装置としての国家権力に対して、政治家が立ち向かわなければ、誰が立ち向かうことができましょうか。当然ながら、一般国民はどんなに検察が悪行を重ねたとしても、それに従うだけでどのような対抗もできません。不当に取り調べる特権を行使して、国民生活を脅かすような検察・警察権力ならば、それを正すのも政治家の仕事の1つのはずです。
国会議員の方々には、正当な権力の源泉である国民に選ばれたのだという自信を持って、仕事を行っていただきたいのです。
私なりの強い危機感の下では、どんなに親しみがある菅さんであっても、物足りなさを感じてしまいました。それよりも実際に、そのような検察と戦っている小沢さんの方が、私の問題意識を共有できると思い、「小沢支持」をお伝えしたのは、読者の皆さんが既にご承知の通りです。
とにかく、民主党の代表選挙は終わって、菅さんが再選されました。総理大臣が替わることなく、このまま菅内閣が続いていきます。冷静に考えれば、対外的には、この方が良かったのかも知れません。今し方、新聞を読んでみると、一部の民主党支持者と多くの一年生議員が小沢さんに期待したのは、その豪腕と噂される指導力で、この日本を変えてもらいたいという強い期待感だったのだろうと分析していた。
私自身、国民の1人として「小沢支持」をした背景には、やはり今の官僚政治を何とか変えて欲しいと強く望んでいる1人だからと言うことになりましょう。
今後、小沢さんがどのようなポストで働かれるのかは、見所の1つなりましょうが、どのポストにあっても、日本の官僚政治を打破するという初心を貫いて、菅内閣と共に働いて欲しいと思います。
私は組織外の人間でありますから、時には批判もしますし、時には応援もするという自由な地方議員という立場から政治に関わっていきます。是非、私のような国民の期待を裏切ることなく、菅総理大臣を中心とする民主党内閣には、頑張って欲しいものです。
2010年09月16日