田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

文教委員会における執行部報告について

 9月15日(水)に文教委員会があった。現在の文教委員会は、陳情が2本しかなく、陳情審査に割く時間が少ない。よって、文教委員会が審査の担当する江戸川区の「文化共育部」と「教育委員会」の通常業務について、改めて執行部報告があった。
 主だった課単位で10分前後の説明ではあったが、またもペーパー無しの口頭による説明だった。


 8月12日(木)の日記でも触れているように、以前、私は「子育て・教育力向上特別委員会」において、口頭のみの説明ではダメだと強く発言した。それにも関わらず、委員会は違えども、執行部の出席者はほぼ同じような人たちが出席する文教委員会において、この指摘は無視され、口頭での説明がされた。


 長い執行部報告が終わった後、私は再度、このような執行部報告のあり方について「いかがなものか」と指摘した。執行部はそれを黙って聞いていたが、違う委員会とはいえ、なぜ私が指摘したことを無視し、今回も同様に「口頭のみ」での執行部報告をしたのか、私は不満を隠すことができなかった。


 私ほど激しい口調ではないにせよ、同様の「報告にはペーパーが欲しかった」というコメントは、公明党の伊藤議員と共産党の間宮議員からも発せられた。
 この様な事態を受け、自民党の島村委員長は、今回、なぜ執行部報告が口頭のみだったかの説明をした。


 実は、今回のように陳情審査がほとんど無い委員会において、何か他にやることは無いかと委員長なりに考えて、執行部に対して、通常業務の説明を委員会の中でして欲しいとお願いしたそうだ。それに対して、執行部の方からは、準備(多分、ペーパーの用意)もあるので、来月にして欲しいと聞いてはいたが、委員長による強い希望の下、今回のような執行部報告に至ったとのことだった。


 つまり、「執行部には責任はないのだ」と委員長はおっしゃりたかったのだろう。それならばそれで、そのような背景も含めて、事前に説明してもらわなければ私にはわからない。単なる委員の1人である私には、ペーパー無しで行う執行部報告事情などわからないのだから、この様な不親切な説明に対して、その不備を厳しく指摘することは、聴く側の要望としては、当然の要求であると思う。
 仮に事前にその背景をわかっていたとしても、やはりペーパー無しでの報告では、どんなに口頭のみで丁寧に説明しようとも、それを聞いている議員の理解は、著しく低くなってしまう。同じ時間を使っての執行部報告ならば、限られた時間を有意義に使うべきだと、私は思う。無為に時間を費やすだけを目的とする委員会ではなく、やることがなければ、15分で終わってしまう委員会であっても、それはそれで仕方がないことだ。


 また、私が今回のことについて厳しく指摘したことについて、同様にペーパーが欲しかったとの発言をした間宮議員から
 『私たち(議員)は、執行部と一緒に区政をよくしていく立場なのだから、「(ペーパーがないことによって)、議員さんにわざわざメモを取らせるな」という田中議員の発言は、いかがなものでしょうか』
 というご指摘を受けた。
 これについては、私の発言を記憶をたどりながら、より正確に記述する。
 「口頭のみの執行部報告に対して、議員がまるで大学の授業を聞く学生の如く、必至になってメモを取っている。メモを取るのは、議員個人の自由だからいいのだが、いつ、どこで、いくらで、何人で、などの数字に関する情報などは、少なくも紙に書いて机上に配布してあれば、わざわざメモを取る必要はない。議員さんにわざわざメモを取らせるようなことをすべきではない」
 この様に発言し、ペーパー無しで済ませようとする執行部報告を批判したわけだ。しかし、そのような指摘が、主題とは違う部分で、まるで私が不遜な発言をした、そのこと自身が問題であると受け取られてしまったことが残念である。
 しかし、よりわかりやすい説明へと事態が改まるのであるならば、私は「不遜な対応だ」との指摘は甘んじてお受けしよう。どんなに丁寧で気を遣った指摘であっても、それで職員の対応が改まらないよりも、よっぽどいいと自負している。


 もちろん、議員だからといって、職員に対して必要以上に威張る必要はない。しかし、職員の「至らぬ対応」が目に余るときは、それをしっかりと指摘することは議員の仕事であると私は思っている。職員に対して、モノいうことが議員の仕事でもあるのだから。
 人にはそれぞれ立場、役割というものがある。もし私が職員の立場で、議員さんに対して何かを委員会で説明しようと思えば、ペーパー無しで行おうなどという「暴挙」はしない。自分が説明することをより正確に理解してもらおうと思えば、それなりの対応が必要であって、それをしていなければ指摘されるのは当然だろうと思っている。


 執行部報告には、どのような対応をするべきなのか。どんなことを紙に書いて報告すべきなのか。数字や事実などの扱いについてどうするのか。分量的には、どのぐらいの報告書が必要かなど、執行部報告のあり方についての指針のようなものがないから、今回の様な指摘をされるわけである。


 膨大な紙を報告書として提出しても、全然目を通さない議員さんがいるかもしれない。それはそれでいいのだ。ただし、折角の執行部報告を真面目に聞こうとしているにも関わらず、その体制が整っていない中での報告では、やはり説明を受ける側の委員が不満を持つのは当然だろう。何度も同じ事をいうことは性に合わないが、事態が改められなければ、これからも何度も同じ事を言い続け、事態の改善を求め続けるだけである。


2010年09月17日