「脱官僚」は、検察・警察から
渡辺・みんなの党代表「検事総長の証人喚問が先決」
2010年10月2日19時38分 asahi.comより
みんなの党の渡辺喜美代表は2日、大阪地検の前特捜部長ら逮捕された事件に関連し、検察トップの大林宏検事総長について「とにかく証人喚問に応じてもらうことが先決だ」と述べ、国会で説明を求める考えを示した。北九州市内で記者団に語った。
渡辺代表は「自由社会の刑事手続きを根本的に破壊する話だ。捏造(ねつぞう)が組織ぐるみで行われたということであれば、捜査権と公訴権を両方持つ検察がやりたい放題できてしまうということになる」と批判。「証人喚問の結果、検察にとんでもない非があれば辞任に値する」と語った。
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これまで、通俗的な官僚批判が横行していた。官僚批判自体は間違っていないのだが、ほぼ全ての官僚批判は、その本丸がどこにあるのかを定めていなかった。
常々私が言うのは、民主主義とは国民による権力のコントロールにあるということだ。政治家の可否は、一応、選挙によって、その当落の決定権を選挙民である国民が握っていることになる。
しかし、この国には、国民による審判を受けずして、強大な権力を持っている組織があるではないか。それが検察であり警察である。
この国家公認の暴力装置に対して、並の政治家は、いや普通の政治家は、最初から腰抜けで、官僚批判をしつつも、微妙に批判の対象から外していた。
私が知る限り、真っ向から、検察・警察に対して批判を続けていたのは鈴木宗男その人一人だけではなかったのではなかろうか。真に尊敬できる政治家の一人である。
強大な権力を持っていると思われている小沢一郎氏でさえも、検察審査会などを目前にして、「検察(が起訴できなかったこと)によって、私の無罪は証明された」などと発言して、検察と戦う姿勢を示しつつも、同時に検察をヨイショしているではないか。
しかし、ここにきて、やっとみんなの党の渡辺喜美氏が検察批判を始めた。私からすれば、「遅い」と思うのだが、やっと官僚批判に魂が入ったというところだろうか。
そう、官僚批判は、その本丸とも言える合法的暴力装置である検察・警察を対象にしてこそ、完結する主張である。そこを外して、官僚批判は完結しない。検察・警察が関係する、様々な利権や汚職などに対して、メスを入れ、それを他の省庁と同様に「仕分け」の対象にしてこそ、官僚批判をベースにした行政改革は徹底されるのだ。
元大阪高等検察庁公安部長の三井環(みついたまき)氏が、2001年の段階で既に、検察の裏金問題に付いて、内部告発しようとしていたが、検察は口封じのため、別件逮捕してしまった。三井氏は、その別件事件で有罪となり、静岡刑務所に移送され、2010年1月18日朝に釈放された。
この検察の裏金問題に付いても、まだ解決はされていない。
この様に昔からほころびを見せていた検察組織であったが、それがここに来て、ついにほころびを隠しきれなくなってきたということだろう。
日本でもついに政権交代が行われたのだ。新政権を歓迎しない検察組織は、民主党の大幹部である小沢一郎氏に対して異常介入し続けてきた。露骨な新政権潰しをしてきた検察を民主党政権は、徹底して追求して欲しい。
昨今の尖閣問題1つを見ても、今や民主党の手足となって動く番犬と成り下がった検察に対して、野党第1党である自民党が、これまでの蜜月の関係を清算して、検察追及の手を緩めてどうする。この際、徹底的に、日本官僚権力の本丸である検察改革に本腰を入れて欲しい。
そして、みんなの党は、「脱官僚」が旗印の政党である。「切れば、切られる」という官僚の武闘集団である検察に切り込んでこそ、その主張は本物となろう。検察・警察に対して、「脱官僚」の思想を徹底し、とことんまで無駄遣いの構造を暴き出して欲しい。正に増税の前にやるべきは、検察・警察の裏金体質を改めることなのだ。
今こそ、各政党、国民の力を結集して、「正義の仮面」をかぶり続けてきた、検察という名の偽善者集団に対して、誰がこの国の主人公であるかを、証明すべく、徹底して組織改革を行っていかなければならないのである。
2010年10月03日