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日刊田中けん

日本の「カワイイ」文化は世界を席巻する

【仏国ブログ】日本の「Kawaii」デジタル機器、フランスで人気に
【社会ニュース】 2010/10/21(木) 10:51  


 フランスでは、日本で開発される新技術やハイテク製品をはじめ、アニメやファッションなど、一部のファンの間では関心が高い傾向がある。
 デジタル機器に関するサイト「Tech You」では、筆者のLisa Tardy氏はもともと無機質で、機能優先の男性的なデザインが主流であるハイテク製品に、日本では「Kawaii(カワイイ)」スタイルの商品が生まれていると伝えている。
 現在、フランスの電気製品小売店の店頭で見られる商品は、機能重視のものがほとんどで、その中に「ハローキティ」といった人気キャラクターのイラストがあしらわれた商品が見られる程度だ。
 しかし、日本では単純に製品にキャラクターのイラストを印刷するだけなく、製品自体を遊び心のあるかわいいものにしてしまう、と筆者はつづる。
 フランスで最近、販売が開始された「使用時に頭の部分を取って接続するネズミやクマのUSBメモリー」や、「パンダの形をしたスピーカー」、「卵型のマウス」など、この傾向を踏襲した商品を例に、フランスでも商品のコンセプト自体が変わってきている様子を伝えている。
 一方、記事のコメント欄には、「フランスでも最近カワイイ商品がブームになりつつあるが、日本製のうわべだけを真似ているものもあり、日本製と比べると可愛らしさや繊細さに欠けている」との指摘も見られる。(編集担当:山下千名美・山口幸治)
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 実は私は昔から、日本の「カワイイ」文化については注目していた。
 だからと言って、決して私自身に少女趣味的な傾向があり、私物がそのようなグッズで充たされている生活をしているわけではない。単に研究対象の奇妙な文化の一つとして注目していたわけだ。


島村麻里『ファンシーの研究―「かわいい」がヒト、モノ、カネを支配する』
文藝春秋 発売日:1991年03月09日


 ファンシーとは、日本において、少女趣味とか少女文化のようなものを指し示す言葉である。「かわいい」という一般的な言い方ではないが、ほぼ同義的意味合いを持つ言葉と理解して構わない。
 上記図書の発売日が1991年だから、私はかれこれ20年近く前から、この現象に注目していたし、実は「かわいいものが売れる」という現象は、20年前らか続いて見られる現象でもあったということだ。


 NHKでは、「東京カワイイ★TV」が2007年から深夜番組として放送されている。これも日本の「カワイイ」サブカルチャーが、テーマになっている。対象者は、10代後半から20代前半の女性である。日本発の「カワイイ」文化が、外国人にはどのように受け止められているかも、番組の中で紹介されたりもしている。


 メディアがNHKとはいえ、普通、NHKが少女文化を真っ正面から取り上げることは少ない。しかし、それが無視できない社会現象であるからこそ、深夜番組とはいえ、この様な番組ができてきた背景にはあるのだろう。


 夜9時に寝て、朝6時に起きるような生活をしている人は、わからないだろうが、日本の深夜放送というのは、低予算ながら、とても時代を先取りしたようなテーマを扱って放送している。深夜アニメなども正にこの枠組みの中で生まれてきたサブカルチャーであるが、どんなに視聴率が低かろうとも、アニメファンが実体経済に大きな影響力を与えていることは、昨今の様々な報道からして明らかである。
 ローソンのエヴァンゲリオンキャンペーン。
 セブンイレブンはガンダム。
 ファミリーマートはマクロス。
 ローソンのけいおん
 コンビニとアニメのタイアップだけを紹介したが、鷲宮神社は「らき☆すた」の聖地となっている。(聖地巡礼と称して、多くのファンが現地を訪れたりする。韓流ファンが「冬ソナ」ツアーで、韓国に行くようなものである)


 「カワイイ」文化とアニメ文化は、微妙に重なりつつずれるのだが、底流には、これまで実体経済には無関係と思われていたようなサブカルチャーが、日本資本主義に大きな影響力を与えているという面では、同じ現象である。「カワイイ」文化の主体が比較的女性であるのに対して、アニメ文化の主体が比較的男性中心であることが、主な差異と言えば差異だろう。


 「カワイイ」文化に話を戻すと、これは表層の魅力ということになる。優れたデザイン、それは機能的なデザインという意味では無く、犬猫のように、愛情を注ぐ対象物として相応しい愛くるしいデザインであるが故に、優れた商品になりうる。


竹内一郎「人は見た目が9割」新潮社 発売2005年


 そう。今や中身の時代ではなく、見た目の時代であるとは、研究者の指摘としては、昔から言われ続けてきた。


鷲田清一『モードの迷宮』 '89.4 中央公論社


 これには当時でさえ、「今やファッションは、自分の体型に合うから、この服を着たいではなく、この服を着たいから、私はこの服に合った体型になりたいと発想する」のような文章が書かれている。
 女の子達が、まさにこの様な価値観で、ファンション選びをしているというのだ。体=中身で、服装が外装であることは替わらないのだが、中身=主体、外装=客体から、外装=主体、中身は客体に変化していると言うのだ。


 資本主義社会は、お金を持っている人間が、お金を使うときだけ王様になれる文化である。何にお金を使うかという決定権は権力に等しく、その権力行使によって、あるモノを時代の潮流へと押し上げ、またあるモノを過去の遺物と葬り去ってしまう。


 「カワイイ」文化がこれまで大きく取り上げられるようになったというかとは、それだけより多くの「女の子」たちが、権力者として、様々な方面でお金を使い、または自分の意を汲んだ誰かにお金を使わせている現象に他ならない。その日本の「カワイイ」文化が、文化先進国であるフランスにも輸出され、大いに成功しているという。


 正に今や日本の女の子達は、世界のファッションリーダーであり、資本主義社会における風雲児となっている。
 これからの日本は、この「カワイイ」文化によっても食べていける国になるのである。


2010年10月24日