科学的見解を盲信すること無かれ
コレステロール高い方が長生き? 2学会真っ向対立
「薬使用は不適切」指針で論争
2010/10/23 20:54 情報元 日本経済新聞 電子版より
コレステロールを巡って専門家の間で論争が起きている。ある学会が「高い方が長生きする」という、これまでの医学の「常識」と真っ向から対立する見解を、ガイドライン(指針)として公表したからだ。生活習慣病予防の観点から、コレステロールは悪者扱いされることが多い。本当に高くても放っておいて大丈夫なのか。
医療現場で混乱
論争の引き金になったのは9月初旬に愛知県犬山市で開催された日本脂質栄養学会大会だった。
「コレステロールの摂取量を増やしても、血液中のコレステロール値は上がらない」「特別なケースを除き、動脈硬化による疾患の予防にスタチン類(コレステロール値を下げる薬)の使用は不適切」――。
同大会で公表された「長寿のためのコレステロールガイドライン」は、健康維持への適正な基準値を具体的な数字で示しはしなかったが、「高いよりも低い方が健康によくない」とした。現在、脂質異常症(高脂血症)の治療の目安として広く利用されている日本動脈硬化学会の指針(2007年版)をほぼ全否定する内容だった。
-------------------------------
2009年04月23日の日記にも書いたが、私は科学を盲信しない。
なぜならば、科学による常識とて、それが100年続く保証はないからだ。100年続いてきた常識が101年目にくつがえることもある。
未来永劫、それが常識だと思われる科学的知識はないと言ってもいい。現代に生きる我々にとって、未来を検証できない以上、私の主張を誰も否定できない。
ただし、私は科学的思考は肯定する。
何か物事を説明するにあたって、神や超常現象を持って、説明しようとせず、物理的説明によって、何かを説明し尽くそうとする努力には敬服する。その努力によって得られた結論が、それからの長い年月を耐えられるかどうかは別問題だが。
権威者は、科学によって、人々を説得しようとする。
足利事件において、DNA鑑定という科学的検証が、菅家利和さんを17年余も拘留し続けてしまった。
しかし、今だからこそ、その科学的検証が間違っていたと我々は知ることができた。当時の人たちは、当時の科学水準を盲信してしまい、それが間違っているかも知れないと理解できなかった。
だからこそ、現代に生きる我々は、今の科学を常に疑い、盲信を止めることが、自分の身を守るためにも必要不可欠となってくるのだ。
昔、エイズがマスコミ紙上を騒がせたとき、エイズは空気感染(正確には、飛沫核感染という)しない、手を握ったぐらいの接触感染もしないと言われてきた。セックスなどの粘膜感染でしか感染しないという言い方だった。
それに対して、無知蒙昧な庶民は、過剰反応して、あたかも空気感染するかのような感覚で、エイズを恐れた。パニックになったと言ってもいい。
私は私も含めた無知蒙昧な庶民とは、自己防衛本能に従っていれば、必要以上に警戒心を持って対応して当然だろうと思う。誰もそれを責められないし、新しい事象について科学は、その時点での「有効な見解」を示しているに過ぎず、未来永劫通用する真理を提供しているわけではないのだ。エイズとて、もし粘膜感染以外の別の感染方法によって、自らが第1号の感染者になったとしたら、それはそれで新しい事例として記録されるだろうが、当事者としては、たまったモノではないだろう。
だからこそ、私は無知蒙昧な庶民は偉大だと、皮肉ではなく真剣に尊敬している。危険視される、その可能性が高い、事象に対して、必要以上におびえ、避けて、遠ざけるのは、自己防衛本能からして、当然の権利だとさえ思う。
近代法の基本原則である「推定無罪」とは逆行するが「疑わしきは有罪」と解釈して行動することが無難なのだ。
科学を盲信しないためにはどうしたらよいのか。専門家では無い、無知蒙昧な庶民の立場から言えば、自分自身には何かを言い切るだけの自信も材料もない。
しかし、専門家同士に論争を見つめ、それをつぶさに検証することで、どちらを自分が信じるかが判断できる。科学と言えども、専門家同士に論争になれば、主張の違いは明確化し、宗教ではないが、信じられるか、信じられないか、そのような最終判断をするしかない。庶民はそれでも良いと思う。
今、エコだとか、地球温暖化だとかで、CO2の排出を極力抑えなければならないという科学的主張がなされている。しかし、私はこのような考え方についても、そう簡単に飛びついていいのだろうかと疑っている。事実、地球温暖化の現象は、CO2が犯人ではないとする専門家もいる。専門家では無い私には、何が真理かはわからない。それでも、CO2はそれが地球温暖化を防止するという大義名分の元、排出取引を巡るビジネスにも発展している。
実際、削減目標を達成できなかった場合、日本が7000億円以上、場合によっては5兆円以上の排出権の購入を迫られる危険性がある。(ウィキペディアを参考)
科学的な現象と言えども、政治の思惑に翻弄されて、日本はみすみす国力を失っている様にも見える。だからこそ、自分たちが行動するにあたって、思考に大きな影響を与える科学的見解については、それを土台から疑い続けていく視点も必要なのだ。盲信は自らを滅ぼす。科学と言えども、時間の検証に逆らうことはできないのだから。
どんなに日本の科学水準が高くて優秀であったとしても、政治がその判断を誤って、みすみす国益を失うようなことをしてしまえば、それで不幸になるのは国民そのものである。
世界世論のご機嫌うかがいがダメだとは言わないが、お金をばらまくだけの“いい人”状態に、日本がなっていないかどうか検証しつつ、国益追求を、日本の政治家がしていかなければならない。
2010年10月31日