「殴れば殴られる」この当たり前の事がわからない中国人
【中国ブログ】日本人よ、何の資格があって「反中デモ」なのか
【社会ニュース】 2010/10/20(水) 17:43 サーチナより
日中両国における対日、対中感情はこのほど、悪化の一途をたどっている。中国では、日本で起こった反中デモの様子が、驚きと怒りをもって受け止められている。
中国網に独自の考えを投稿した「龍凱鋒」氏は、反中デモを起こした日本人の報道を目にし「はじめは驚がくした。そして、悲しみ、おかしさを経て、怒りを感じた」などと語り、日本人の行動に対する衝撃の強さを振り返った。
同氏がまず驚がくしたのは、反中の日本人が多かったことだという。「原子爆弾を投下されても、軍事的に米国の傘下に入ることになっても、日本人は反米機運に傾かなかったのに」などと語り、日本人がこれまで、米国やロシアなど大国の不合理な要求に対して大きく反発しなかったことを例に挙げ、「同じことを中国がするとなぜデモに!?」などと戸惑いを見せている。
しかし同氏は、「中国はこれまで、日本との友好を望んできたのに、日本には恩をあだで返されてきた」との“恨み節”を展開。第2次世界大戦後における日中両国の振る舞いに差がありすぎる、などと中国での「対中歴史観」を元に、「日本人は中国人を愚弄(ぐろう)している」との感慨を示した。
同氏はこのほか、「資源の乏しい、経済活動のほとんどを外国に依存する」日本人が、「国連の常任理事国であり核保有国、国土の広さと人口の多さを誇る」中国人と張り合えるはずはないと一笑に付し、「日本に未来があるとは言いがたい」などと痛烈に批判。今回の反中デモを展開した日本人に対する怒りを表現した。(編集担当:金田知子)
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尖閣諸島問題に関係する一連のデモは、その規模や頻度から言って、多くは中国で発生している。その大義名分は「反日」である。それに比べて、日本で発生した反中デモなどは、その規模や頻度など、中国で毎日のように行われている反日デモと比べれば、小さなものである。
しかし、中国人は、自分たちが反日デモをしているにもかかわらず、その相手国から、反中デモをされると、「なぜそんなデモが発生するのか」、わからないのだという。
誰かに対して怒り、その感情が相手に伝われば、相手からは同様に自分への怒りの感情がはね返ってくる。これはまるで鏡のような関係であって、よくあることだ。一方の怒りで、他方が怒らないとするならば、それは真に反省をしているか、恐怖で怒れないのであって、決して対等な関係ではない。
相手と自分とが対等な関係ならば、自分が怒れば相手も怒る、これは当然のことなのだが、中国人にはこの当然さがわからない。まるで自分たちが絶対正義を主張していて、日本はそれに従うだけしか許されない絶対悪なのだと言わんばかりの傲慢さしか、その怒りの中からは感じられない。
それと同時に、自分がもし相手と同じ立場だったら何をするかという想像力が欠如しているからこそ、反中デモの意味が中国人にはわからない。
相手に対する想像力の欠如は、独りよがりの身勝手な論理によって正当化される。よって反日デモは肯定され、反中デモは否定される。この様な正に、自分たちを中心にして世界が動いているという天動説を本気で信じているような中国に対して、はたして話し合いによる解決策などあり得るのだろうか。
自分たちの攻撃は正当化し、相手の反撃は否定する。これまさに、侵略国家の発想である。自己都合の前には、侵略さえ彼らは肯定する。そうかつて「チベット解放」と呼び、チベットを侵略したように、今の中国は、日本を「解放」させようとしている。
これこそ、中華思想を持った、自己中心的論理ではないか。
私はこの様な中国の考え方を否定する。
私はこの様な中国人の考え方を否定する。
私はこの様な中共の考え方を否定する。
私はこの様な中国が中国であるという考え方を否定する。
私はこの様な反日によって統一中国を作ろうとする考え方を否定する。
日本はこれ以上、中国と付き合う必要があるのだろうか。
目先の利益に目を奪われると、国家として、国民として、二度と返ってくることがない、とても大事なことを失うことに、一刻も早く気がつかなければならない。
中国は日本にとって、最大の仮想敵国となっている。
2010年11月02日