田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

今さらながらの自民党支持者による国民攻撃

 尖閣諸島問題一つを取り上げても、民主党政権が政権政党にふさわしく無いことは明らかです。世論調査などを見ても、この一件が理由で、大きく支持率を下げたことでしょう。
 もう民主党には期待しない。民主党には投票しない。
 そのように心に決めた有権者が多いのではないかと思います。


 しかし、このように民主党がどうしようもない政党だとハッキリした時点から、自民党原理主義者とでも言っていい人たちが、本来自由な国民意志を強烈に批判しています。


「なぜ民主党に投票したのか」
「この様な事態になることは民主党政権になる前からわかっていた」
「現在の様に日本を悪くしたのは、民主党に投票したあなた自身だ」
「自民党の功績を高く評価しろ」
などなどです。


 もし民主党に投票して、今は民主党を見限っている人は、この様に自分自身に対して批判の矛先が向かってきたら、「おっしゃるとおりです」と素直に納得して、自分の罪を悔い改め、今後は自民党に投票するようになるのでしょうか。
 もしその答えを真剣に求めたいのならば、批判をする自民党支持者の側が、その人自身が、自民党の候補者となって選挙に出て、その言葉通りに、有権者を批判すれば良いと私は思うわけです。


「今の民主党政権を作り出した責任は、民主党に投票したあなたたち有権者そのものにある」と。


 どんなに今までの日本の政治に対して批判をし続けてきた共産党でさえ、この様な国民批判はしません。もしこの様な国民批判によって、民主党支持者が、自民党支持者になると考えているとしたら、あまりにも人心を知らなすぎる純粋なお子様です。


 あらためて言うまでもなく、日本の国の主人公は国民です。民主主義国家なのです。国民が政治選択を間違えて、よからぬ政治勢力に荷担して、変な政権を作り出したか否かは、将来の歴史家が判断してくれることでしょう。
 国民は間違えることもある。しかし、その間違えを正すこともできる。もっと言えば、(何が本当に正しいか、同時代ではわからない以上、)国民は間違える権利さえも持っている。


 民主主義国家であり、かつ現代を生きている我々にとっては、将来行われる歴史的評価などわかるはずがありません。それよりも今を生きている者として、限られた情報と限られた生命の中で、その都度、その都度、どの政治勢力を応援しても構わないのです。
 国民こそが主権者なのですから、その主権者が、気まぐれの如く、民主党を応援しようが、自民党を応援しようが、共産党を応援しようが一向に問題ないのです。


 それにも関わらず、自民党を愛して止まない一部の熱烈な自民党支持者は、自民党を応援せずに、民主党政権誕生に荷担して投票した国民を、強烈に批判の対象にしています。
 国民の自由な選択権を尊重せず、自民党を盲信する人たちは、どんなに自民党を支持していようとも、自民党の理念を理解していません。その全体主義的発想は危険思想であり、自民党の理念とは逆のはずです。
“自民党以外ダメ”
このような発想が、既に多くの国民をどん引きさせるのです。


 もし「自民党を支持しない国民は、ダメな国民だ」と言いふらすことが、真に自民党支持者を増やすことにつながるのかどうなのか。このような国民批判が、どのような政治的影響を与えるか。これを少し考えてみれば、むしろこのように自民党の立場から国民を批判する人こそ、本当は民主党の工作員であり、自民党から人心を離れさす高等テクなのではないかと疑ってしまいます。


 選挙における国民意志は絶対です。絶対とは批判を許さないと言うことです。国民を批判するとは、絶対に対する挑戦です。反民主主義とも言うべき主張です。結果として、国民意志が間違えることもあるでしょう。しかし、それは国民1人1人に対して、面と向かって言うべきことではありません。言ったところで、改まるような話ではないのです。絶対とはそういうものです。


 だからこそ、政治家は、常に国民に対して頭を下げるのです。頭を下げて、下げて、時には馬鹿にされたり、脅されたり、横柄な対応を受けてもじっと我慢して、頭を下げ続けているのが、政治家という人たちです。
 もし真に自民党政権の復活を望む支持者ならば、政治家同様に頭を下げるぐらいの気持ちを持って、個々の有権者に接してもらいたいモノです。


 特定政党を支持する者が、安易に国民批判をしたところで、それで支持政党が変化して、自らの党勢拡大ができるのならば、政治で苦労することはないのです。


 最近、自民党支持者たちの蛮勇、暴言が目に余るので、苦言を呈しておきます。こんな国民批判で、政権交代などはできませんよ。


2010年11月04日