沈みゆく民主党に献策
松戸市議選 現職全員落選で大騒ぎ
2010年11月24日 掲載 日刊ゲンダイより
21日に投開票が行われた千葉・松戸市議選の結果に民主党がマッ青だ。定数44に対し、民主党は11人の公認候補を立てたが、当選したのは新人の2人だけ。現職4人全員がまさかの落選で、議席も半減してしまったのだ。鳩山政権から菅政権に代わったばかりの今年6月の松戸市長選では、民主党への追い風を受け、民主推薦の新人が現職を破る快挙だったのに、わずか5カ月で状況は一変した。
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民主党の不人気が止まらない。それに一番気がついていないのが、仙石由人官房長官であり、菅直人首相なのだが、打つ手がない。辞任した柳田稔法務大臣が最後まで悪あがきしたように、菅内閣も延命だけを目的とした内閣になってしまったようだ。
もちろん、時に政治家はどんなに人気が凋落しようとも、自分のやりたいことの前に殉ずる覚悟を持って事に当たらなければならないこともある。
竹下内閣が消費税導入を強行した結果、支持率3.9%になったことがあった。これほどまでの低支持率になるまで総理大臣を続けたことを、とんでもないことだと否定的に考えるか、それとも3.9%になるまで総理大臣を続けられたことは凄いことだと考えるかは、低支持率の原因となった政策に対する現代的評価によって大きく変わるだろう。
今、菅内閣の支持率が23%になったという。なぜここまで支持率が下がったか、その政策的な背景を考えれば、菅内閣が行った政策とは、とにかく中国様のご機嫌を取ることだった。卑屈と思えるほどの中国に対するご機嫌うかがいに対して、民心が離れた結果の支持率低下となった。
はたして、菅内閣による、この“政策”は、消費税のように、後世になってどのように評価されるのか、とても興味深い。
さて、松戸市議選の結果を見ても、民主党公認で立候補することは、既に落選を覚悟しなければならないほど厳しい状況だ。はたしてこの様な民主党に対して、起死回生の一手はあるのだろうか。
そのためには、かつて自民党がどのようにして延命策をとってきたのかを検証してみるといい。
かつての政権政党自民党は、どのような政党であったか。私が大学生の頃は、“一党独裁”と言って単純に自民党政権を批判し続けてきた。しかし、今になってみると、批判は批判として良しとして、自民党の実像に対する認識は正しくなかった。自民党とは一党にあらず。1つの政党に共存している連立政権と見るべきであった。
架空の動物にたとえて言えば、自民党とは、ヒュドラ・八岐大蛇・キングギドラの類である。それぞれ、9つ、8つ、3つと頭の数は違えども、独立した複数の脳となる個別の命令系統を持ち、胴体は一緒という動物である。
派閥政治と批判されてはきたが、派閥政治とは形を変えた連立政権であったことの証明だ。1つの派閥の長が総理大臣となり、人気が無くなると別の派閥の長が総理大臣となる。どの派閥がリーダー的役割を担うかは、その時その時で違ってくるが、決して連立政権の枠組みを壊さないという暗黙の了解があって、その連立政権の枠組みが“自民党”という政党の形を取っていただけだった。
不人気の総理大臣が辞めて、別の派閥から総理大臣が誕生し、自民党の人気は復活する。この擬似的な政権交代を延々と続けることによって、自民党は自民党の中で、与党と野党が完結していた。だからこそ、自民党でない政党は、政党に非ず、いや政治家に非ずという実態だったのだろう。このシステムがあったからこそ、自民党は長年にわたって多くの国民から支持を集めることができた。
この延命策を民主党にも当てはめてみればいい。もうこれ以上、菅内閣が保たないと判断した時点で総辞職をする。民主党政権を小沢グループ主導で再構築する。これこそ、かつて自民党が行ってきた擬似的政権交代であり、これによって、少しは民主党の支持率も復活することだろう。
その時は、まさに菅直人氏には、一時お休みいただくのがよかろう。閑職に落ち着き、表舞台から退いていただくのがよい。
ただし、菅内閣に対する倒閣運動は、野党にはできない。民主党の不人気を敏感に察知して危機感を持った小沢グループの中から勇者が現れ、現政権に対して異議申し立てを行い、菅内閣を倒すことである。それこそが、民主党政権の延命につながる。それはかつて自民党が血で血を洗う派閥抗争を続けてきたのと同じ事を、これからの民主党が行うのである。
そうやってこそ、菅内閣は倒れ、民主党政権は続くのだ。民主党政権が潰れるならば潰れて欲しいとは思うが、発足から4年間は、つまり次の衆院選挙までは潰れないだろうと思うので、私はこのような案を民主党に献策する。
望むと望まざるとに関わらず、民主党政権は日本の政権である。最低限の仕事はしてもらわないと、国民の1人として納得できない。
2010年11月27日