田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

血統的国際化は、急激ではなく、歩くような速さで

外国人犯罪者の国外追放強化承認にショック─スイス
【政治ニュース】 2010/12/03(金) 15:52 サーチナより


 11月28日の国民投票で、「重罪を犯した、または社会保障を悪用した外国人の滞在許可証を自動的に取り上げる」という右派国民党のイニシアチブが承認されたことで、多くの外国人、特に移民の第2、第3世代が不安感を覚えている。
 移民の第2、第3世代を代表する組織「セカンドス・プラス(Second@s Plus)」は、「スイスでは外国人は望まれておらず、疑いの目を持って見られている」というメッセージを発表した。


  憤りと不信感 
  
  ベルンのスペイン移民援助組織の秘書ジョゼ・ライムンド・インスア・メンデス氏も、スイス国籍を持たないスイスで生まれ育った移民の第2世代が特に、今回の投票結果を心配していると話す。「直接民主制は素晴らしいが、最近スイス人は本能に頼って投票し、理性に欠けている。非常に危険な方向だ」
 外国に住むイタリア人を支援するイタリア政府の組織の会長、パオラ・ダ・コスタ氏も、今回の選挙は(外国人に対する恐れや不安感といった)感情的な反応だと言う。「ショックを受けた。スイス人が何を望んでいるかはよく理解できる。しかしこの承認は解決には繋がらない」
 52の外国人組織を包括するローザンヌの外国人フォーラムの会長、ティディアンヌ・ディウワラ氏は、組織を代表して「憤り」と「不信感」を表明。「人口の2割を占める外国人は、スイスに完全に融和している。この融和状態が停止するとは考えられない」と言う。また、今後こうした投票がある場合は、政府も外国人グループも国民に説明する機会をもっと持たなければならないと付け加える。
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 私は外国人参政権に反対する立場にある。急激に国際化しなければならないという強迫観念が日本社会にあって、そのスピードに多くの日本人がついていけないと考えるからだ。
 日本はアメリカと違って、国家の成立要件の中に移民という発想が無い。日本は単一民族であるという認識は正しくない。しかし、多くの日本人が単一民族だと勘違いするほど均一性を保持していることも事実であり、日本はここまでその、均一性の中で国家運営をしてきた。
 それにも関わらず、物わかりが良い日本人を中心に、外国人参政権のような、在日外国人に対して、その基本的権利を拡大しようとする政治運動に荷担している。主旨としては、理解できなくもないが、もし外国人参政権が認められた社会になれば、結果として、日本人にも在日外国人にとっても、不幸なことになると私は考えている。


 紹介した記事にあるように、どの国であっても、右派的政治運動は外国人排斥をよく主張する。一般大衆は、決してそのような主張を簡単には支持しないだろう。しかし、日常生活の中で外国人が目に見えて増え、不況や日常的な生活苦やストレスなどが重なると、自らが抱える不満は、直接的原因ではない目の前に見える異質な人間に対して、向かいやすい。そんな大衆不安が大きくなったときに、極右による政治主張は、大いに大衆に支持される。
 日本においても、近い将来、外国人犯罪者の国外追放という政策が法制化されるときが来るかも知れない。真なる外国人ならば、祖国に帰るだけかもしれないが、このような法律が出来て困るのは、外国人でありながら、他国で生まれ育ってきた移民の2世、3世たちであろう。
 国籍取得にあたって、生地主義であるアメリカなどは、在米外国人2世、3世という概念が存在しない。なぜならば、アメリカで生まれたのであれば、それはそのままアメリカ人になれるからだ。
「アメリカで生まれた人間は、無条件にアメリカ人だ」
 これが生地主義の考え方だ。
 それに比べ、日本、韓国、中国などでは、論理的には、その地でずっと生まれ育っているという外国人が何世代にもわたって存在することになる。
 日本には、多くの在日朝鮮人、韓国人がいることは事実である。


 私は日本を国籍取得を生地主義に改めろとは言わない。しかし、帰化という制度があるのだから、日本で生まれ育った者に対しては、どこかの時点で、日本人化していくことを促すことも必要だろうと考えている。
 「自分自身が何人であるか、どこの国籍を持っているか」ということは、極めて私的なことであり、国家による強制や勧誘などは受けたくないという個人も多々あろう。それはそれで、日本は自由な国だから、日本人という国籍を選択しない自由があっていいのだが、それならば日本の土地に外国人として住み続けていく不自由さも甘んじて受け入れるようでなければならない。その覚悟なくして、外国人であり続けながら、異国で生活し続けると言うことは、異常なことだと私は考える。
 自分自身が外国人であるという覚悟なき要求が、外国人参政権だ。もしどうしても参政権が欲しいというのであれば、それこそ「日本人になればいい」のである。その選択肢は、常に開かれている。私はそのように主張する。


 外国人が、恒常的に外国に住み続けると言うことは、望ましいことなのだろうか。私はそうは思わない。少なくとも終の棲家として、その国を考えているのならば、真摯な対応として、その国の国民に、選択肢としてなれるのであれば、なることが、真にその地域に馴染んでいくことになるのではないだろうか。


 日本の国際化は、どんなことをしても止めることが出来ない。人と人が出会い、結婚し、子どもが生まれていく過程にあって、これからは日本人が、日本人以外の人と結婚し、混血がますます増えていくことだろう。この流れは、誰が何をしても止めることはできない。それはそれとして認めつつも、日本の血統的な国際化は、もっとゆっくり実現すればいいと私は考える。
 自らが外国人であり続けながら日本に永住するならば、何かと不便で不利なのは当然であり、その覚悟もなく日本に留まり、不要な権利拡大などを叫べば、それこそ極右から「おまえらは、祖国に帰れ」などの排斥運動を受けることになる。
 おとなしく、善良に暮らしてさえいれば、そのような人物にまで、「祖国に帰れ」などと言い続ける日本人は、きっと少なかろう。もしこれからもずっと日本に住み続けるというのならば、仮にご自身は無理であっても、2世、3世の代になって、日本人化して、少しずつ日本の土地に馴染んでいけばいいのだ。
 何も焦ることはない。変化はゆっくりゆっくりと訪れてこそ、日常的な平和は保たれるのである。


2010年12月08日