滞納者が存在しない社会を実現する
滞納給食費・保育料、子ども手当から天引きへ
2010年12月18日14時33分 読売新聞より
政府は18日、2011年度に支給する子ども手当(3歳未満は月2万円、3歳~中学生は同1万3000円)から、地方自治体が公立保育園の滞納保育料を強制徴収できる制度を導入する方針を固めた。
滞納給食費についても、子ども手当支給額から差し引く仕組みを導入する方向で調整に入った。20日の関係大臣会合で決定し、来年の通常国会に提出する子ども手当法案に明記する予定だ。
滞納保育料は約83億円(06年度・厚生労働省調べ)、滞納給食費は推計で約26億円(09年度・文部科学省調べ)にものぼる。
子ども手当をめぐっては、政府は児童手当で地方側が負担していた分(10年度は6138億円)と、所得税の年少扶養控除廃止に伴う地方増収分などを財源に充てる構えだが、全国知事会などは「全額、国庫負担とするのが原則だ」と難色を示している。
-------------------------------
給食費の滞納が全国的に社会問題になったときに、私はとある首長に対して、給食費を全額補助することはできないかと聞いてみた。財政的に無理との回答だった。
私は滞納者を批判する世相には否定的だった。どんなに滞納者が悪いとしても、私は滞納者個人を責めようとは思わなかった。滞納者を責めざるを得ない制度が悪いと、制度の欠陥を私は是正したいと思っていた。
それに滞納者を責め、催促し、結果として支払ってもらうためのコストも考えるべきだと思っていた。
私が重視するのは(全ての人が支払う)平等の実現
それと費用対効果を考えたときに、効果以上の費用負担が発生した場合、それはマイナス事業と考え、“行わない決断”の必要性
この2つである。
給食費の滞納は、どんなにお金を持っている人であっても払わない人は払わないし、どんなにお金を持っていない人でも払う人は払うという、人間性の問題だと思っている。これは私の人間観だが、人間性が試される行いとは、必ずや低きに流れるに違いないとの考え方だ。
つまり道にお金が落ちていれば、人はそのままネコババするぐらいが普通だろう。人が見ていなければ平気で悪いことをする。特に罰せられなければ、人は悪いことを行う。この様な人間観を持っていると、最初から人間の善行に期待して何かを実現しようだとは思わない。
人からもらった物だろうが、道から拾った物だろうが、一度手にしたお金は自分の物だ。そして一度自分の物になったお金が出ていくことは誰にとっても嫌なことだ。
義務教育の段階で、給食費を進んで払ってもらうなど、最初から期待できなかったのだ。必然的に、滞納問題が発生してしまう素地がそこにはあった。だから、私は、“人間とは、そもそもお金など払いたくない動物だ”と思っているので、滞納問題が発生した場合、滞納を引き起こした個人を責めようとは思わない。人間の善行に期待した制度が悪いとの結論に達した。
“人間について何て冷めた見方をしているのか”
そんな批判が聞こえてきそうだ。
でもどうだろう。人間とは善行あふれる素晴らしい人たちだと思っていると、滞納した人たちを批判せずにはいられないだろう。
私のように人間に対する期待値が低い場合は、多くの人たちが滞納してしまった場合、「それは制度が悪かった。滞納した人たちが悪かったわけではない。申し訳ない」そんな気分になるものだ。
では、前者と後者の対応を考えたときに、どちらの方が滞納者にとって優しい対応なのだろうか。ここは是非、御議論いただきたい。
今回、政府が支給する子ども手当から、公立保育園の滞納保育料や滞納給食費を強制徴収できる制度を導入する方針を決めたという。
私はこの方針を評価する。
最初から人間の善行に期待しても滞納は無くならない。また発生してしまった滞納に対して、「払ってください。払ってください」と何度言ったところで、払ってくれる人は払ってくれるかも知れないが、払わない人は決して払わないのである。払わないことに対する大きな罰則があったとき、人は進んで払うようになるが、そうでなければ人はお金など払わない。それに仮にそのような対応によって、全額払ってもらえたとしても、払ってもらうために発生するコストを無視することはできない。
1,000円支払ってもらうのに、人件費を1万円かけたのではバカバカしいのだ。
つまり、最初から本人の意志とは関係なく、今回の強制徴収のように「支払わされる方式」は、現行制度よりもベターだと言える。
滞納者からは不満の声も聞こえてこようが、それは自分たちが滞納していたからこそ、取られてしまうお金であって、ここは致し方ないと諦めた方がいい。
蛇足だが、どうしても諦めきれないという人だけ、政治運動に身を投じて、不平不満を解消すべく社会変革を求めればいい。
しかし、ちょっと政治運動に身を投じるとわかることだが、これほどまでに費用対効果が悪い人間活動はない。利に聡い人たちが、何か情熱を持って政治運動に身を投じるなどと言うことは、私には考えられない。
利益中心に物事を考える人に取っては、政治活動など愚かな人がやることだと思っているに違いない。だから、利に聡い人は政治に関わらない方が正解なのだ。全く正しい考え方だ。
さて話を戻すと、お金が無い人からお金を取るのではなく、お金が無い人に、まず子ども手当てでお金を配ってから、そこからお金を強制徴収するのである。これならば誰でも支払える。この制度は、きっと定着するであろう。
理想を言えば、滞納者に対して、子ども手当てから強制徴収するという制度ではなく、公立保育園の保育料と給食費は、最初から子ども手当から徴収して、残金を個人にお渡しするという制度の方が、更に一歩進んでいる。こうすれば、日本からは滞納者のレッテルを貼られる人は、無くなることだろう。
たとえ相手がどんなに悪人であったとしても、制度の不備を免罪し、個人を責め続けていくような社会構造を、出来る限り変えてゆきたい。
2010年12月18日