田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

議員は政党の駒なのか

「反党行為なら議員辞職」与謝野氏、自民時代に誓約書
2011年1月19日22時6分 asahi.comより


 自民党の大島理森副総裁は19日、与謝野馨・経済財政担当相が2009年の自民党時代に「反党行為があった場合、良心に基づき議員辞職する」と書いた誓約書を公開した。大島氏は、与謝野氏の署名が入った書状を記者団に見せながら、「政治家としての道義にどう答えるのか。しっかり問いただしていく」と述べた。通常国会の予算委員会でも追及する方針。
 自民党は09年の総選挙で、すべての公認候補に誓約書を提出させていた。大島氏は、与謝野氏が民主党の会派に入会しても無所属のままであることについても触れ、「まさに脱法的行為だ」と批判した。
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 私は与謝野馨氏が自民党の議員から、立ち上がれ日本に政党を変え、その後すぐに離党して、自分がこれまで批判していた民主党政権の閣僚に収まった。
 このような“軽業師”のような身の処し方は、私にとってはとても真似できないし、そうしたいとも尊敬もしないのだが、政治家個人の決断としては、そのようなこともあり得ると思っている。
 なぜならば政治とは政治家が行うべき仕事であって、決して政党が行うことではないという信念があるからだ。政党とは、志を同じくした政治家同士が集まったグループ名であって、このグループ名を実体化させ、グループが実体ある議員個人を縛り付けてはいけないと考えるからだ。
 最近の傾向としては、政党をより実体化させ、政党による議員個人の拘束をより厳しくしようとしている。それは権力の集中を意味し、政党幹部にとっては歓迎すべき現象になろうが、そこに所属する議員にとっては、自分が幹部になろうと思っている者以外、迷惑な規定でしかない。


 これまで私が、比例代表制や小選挙区制について、反対したり懐疑的だったりしたのは、このような政党が前面に出るような選挙制度がある限り、より強い権力を政党が持つようになるからである。
 これでは議員個人による豊かな発想や斬新なアイディアなどが政治に生かされるはずがない。議員は政党の単なる駒になってしまう。


 塩野七生氏は、軍隊に関して以下の考え方を披露している。
「軍隊は国際政治の駒なのです。そして、駒になりきることこそが、軍隊の健全さを保つうえでの正道なのです」
 これと同じように、今の日本の政党は、所属議員に対して、「政党の駒」になることを求めている。議員は軍人同様に、駒になって良い職業なのだろうか。
 私は、駒であるべき職業が、駒でない職業に劣ると言うことを言いたいのではない。業種の違いによって、求められる能力が違うと言いたいのだ。
 例えるならば、年収数億円稼ぐ野球選手であったとしても、年収数千万円しかない監督の指示に従うことが求められる。もし監督の指示に従わなければ、監督の信頼を失い、使ってもらえなくなる。年収は上でも、権力は監督の方が持っている。その意味で、どんなに優れた野球選手であったとしても、その選手はチームの駒に徹することが求めらているといえる。


 では議員とは、駒であるべき職業なのかということだ。前々から批判しているように、マニフェスト選挙は、政党が勝手に作った政権公約を、よりわかりやすく有権者に伝えるメッセンジャーにしてしまった。
 ここの候補者が持っているだろう「内発的な問題意識」よりも政党が掲げた主義主張を、オウムのように暗記して演説して有権者に見せれば良い存在に成り下がってしまった。まさに候補者を、そして議員を意志をもてない駒に変えてしまったのが、マニフェスト選挙だったと、私は認識している。


 これからの方向性としては、政党はますます所属議員に対して、拘束力を強くしていくことだろう。権力とは、相手を自分の思うがママに動かしたいという欲求に基づいているが、その欲求が、まずは身近な議員仲間に向かい、国会における権力をより集中させ独占しようとするに違いない。
 私のような一人で活動している議員がどこまで抵抗できるかは、未知数だが、これからも有権者の動向に意識を向けながら、自分が思っていることを率直に語れる議員でありたいと思っている。


 よって、与謝野馨氏の行動は、そのもの自体は批判に値するが、個人が判断して自由に動いたことについては、大いに共感するのである。議員は本来、誰からも命令されることなく、一人で考え一人で行動する者である。


2011年01月20日