「魔法少女まどか☆マギカ」お薦めです。
http://www.madoka-magica.com/
まずネタバレになること前提でお話しするので、
ネタバレを嫌う人は、この日記を読まないでください。
私はアニメをよく見ますが、見ないジャンルが2つあります。
1つが、小さな子ども向けアニメ。
もう1つが、女性向けアニメ。
「魔法少女まどか☆マギカ」はタイトルからして、「魔法少女リリカルなのは」(以下、なのは)を思い出させます。「なのは」が少女向けアニメかどうかはともかく、私は「なのは」を最後まで見ていません。それでも、だいたいの展開は知っています。最初、「魔法少女まどか☆マギカ」を冒頭だけ見たとき、これは「なのは」のパクリなんだと直感しました。ちょっと目先を変えただけで、基本的には同じような展開で、進んでいくアニメなんだと思って、見るのを止めました。
実際、アニメに限らず、ドラマであっても、何か元になる作品の登場人物名や細かい設定を変えただけで、他はほとんど一緒という作品は結構あります。
しかし、世の中は面白いことに、パクリとわかっていても、今後のストーリー展開がどうなるかのわかっていても、それを面白可笑しく見ることができる人がたくさんいます。
そうでなければ、未だにVSOP(べーリースペシャルワンパターン)と言われる水戸黄門に代表されるような作品が、多くの視聴者の支持を得ている説明が付きません。
そう。本来はわからないはず物語の未来を知っていて、その知っている未来の通りにストーリーが展開していくことに、安心感を持って視聴できる人たちが、その安心感故に、確認のために、見続けたいと思う人が、多くいるのだと言うことを、私は経験的に知りました。
だからこそ、この「魔法少女まどか☆マギカ」はそのようなアニメだと直感し、私は見るのを止めてしまったのです。
しかし、アニメ好きの区民から、「魔法少女まどか☆マギカ」は良いアニメだと薦められて、見ることにしました。私は人から薦められた作品は、高い確率で良作だとの思い込みがあるので、素直に見てみました。
絵ズラとしては、女の子が好きそうなかわいらしいキャラクターです。同様に、このような可愛らしい女の子が好きな男の子も見るような画風です。少女趣味が無い私からすれば、ちょっと私の趣味とは違う絵ズラであることは、間違い無いのです。
しかし、3話まで見て、この作品が決して、子ども向けの作品でないことがわかりました。
この作品は、哲学的命題を持って、視聴者に問いかけてきます。
人は誰のために働くのか。
他人のために働くのか。
自分のために働くのか。
死と向き合うとどうなるのか。
この作品には、色々な「騙し」があります。まず、この可愛らしい絵ズラに騙されてはなりません。やっていることは結構グロです。
他人のために働く。本当に他人のため?
自分のために働く。本当に自分のためだけ?
善人だと思える人。本当に善人?
悪人のように見える人。本当に悪人?
人は裏切られたときにどうするの?
人に何かを期待するから、裏切られたときに怒り出すの?
何も期待しなければ、裏切られたとして怒らなくて済むの?
よかれと思ってやったことが、結果として自分にとって不利益になる。
よかれと思ってやったことが、結果として相手を不幸にしてしまう。
善意は決して人のためにも、自分のためにもならない。
でも、そんな利己的に生きているような人であっても、
徹底して利己的にのみ、生きていけるの?
魔法少女という強力な力を持った存在になるためには、何かを犠牲にしないと、そんな力を持つことはできない。人のために働いているのに、それを人は決して理解してくれない。
魔法少女という、普通の人ではない者に対して、無理難題をいう一般人。
では、そんな無理難題を言う一般人に対して、魔法少女は言う。
「そんなに言うのだったら、あんたがそれをやってみれば。(あなたには、決してできるはずないのに)」
魔法少女の単語を、政治家に置換して読み替えてみると非常に面白い。
そう。政治家は既に一般人ではない。一般人とは違うと思うからこそ、一般人は、無理難題を政治家にいう。それを政治家は実現しようとする。でも、それができるような政治家とは、実は、一番一般人から遠い人物でなければ、そんなことできない。
そして、政治家が一般人から一番遠い存在になったとき、政治家は決まって悪いことを行うようになる。
ちなみに、魔法少女のお仕事とは、魔女を狩ること。しかし、その魔女とは、魔法少女の未来の姿。少女が大人になって、女になるように、魔法少女も大人になって、魔女になる。その魔女を魔法少女が狩るという構図。これが何ともシュール。
「魔法少女まどか☆マギカ」が別名、「血だまりスケッチ」と呼ばれる所以がわかったような気がする。大人が見るべきアニメです。
2011年03月07日