都知事選 期待値余って ガッカリ百倍
松沢氏、東京都知事選の立候補を撤回
2011年3月14日19時32分 asahi.comより
東京都知事選に立候補を表明している松沢成文・神奈川県知事(52)は14日、都庁で会見を開き、出馬を撤回すると発表した。松沢氏は、引退の意向だった石原慎太郎都知事(78)の後継含みとされていたが、石原氏が4選出馬を決めたことで引いた形だ。
会見には、石原氏と上田清司・埼玉県知事(62)も同席。冒頭、上田氏は首都圏の知事同士の争いを避けるため、石原、松沢両氏の調整を進めたと説明。松沢氏は「苦渋の決断だが、受け入れることにした」と述べた。
首都圏連合の強化や受動喫煙防止条例制定など、松沢氏の公約は石原氏が引き継ぐという。松沢氏は「石原知事から協力してほしいと言われた。一歩下がって全面的に協力する」と話した。神奈川県知事選に立候補することは「できないと思う」と否定した。
松沢氏は2月に石原氏に出馬を促されたといい、3月1日に正式表明した。石原知事は、いったんは不出馬の意向を決めたが、選挙の結果次第では、自身のこれまで進めた都政の路線が継承されない可能性があるなどとして4選出馬を決意。10日に松沢氏に伝えていた。
都知事選をめぐっては、前参院議員の小池晃氏(50)=共産党推薦=、外食チェーン大手ワタミ創業者の渡辺美樹氏(51)、発明家のドクター・中松氏(82)らが立候補を表明。前宮崎県知事の東国原英夫氏(53)も立候補の意向を固めている。
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松沢氏、東京でも「受動喫煙防止条例」 都知事選公約に
2011年3月9日23時41分 asahi.comより
4月の東京都知事選に出馬する松沢成文・神奈川県知事は9日、都庁で政策発表の会見を開いた。神奈川県で実績のある「受動喫煙防止条例」を東京でも制定することなどを公約に掲げる考えを明らかにした。
条例は、学校や病院、デパートなど公共性の高い施設内は禁煙に、一定規模以上のホテルや飲食店は禁煙か仕切りを設けて分煙にしなければならないという内容で、罰則規定もある。松沢氏は「健康増進社会を目指す。世界の大都市では屋内禁煙が常識だ」と強調した。神奈川県では昨年4月に施行されている。
また、都知事の任期を連続3期までとする「知事多選禁止条例」の制定もめざすという。神奈川県でも条例化しており、「権力の集中と長期化は腐敗を招く」と話した。
一方、自民党都連は出馬要請中の石原慎太郎都知事が立候補しない場合でも、松沢氏は支援しない方針を決めた。都連幹部は「神奈川県で進退を言う前に、都知事選の出馬表明をした。神奈川県民にも都民にも失礼だ」などと話している。
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松沢成文氏とは、去年の浜松で行った禁煙集会に向かうタクシーの中で、一緒に話をした仲だ。とても気さくな親しみある方だと思った。
http://www.t-ken.jp/diary/20101011/
東京都内における「受動喫煙防止条例」に賛成
都知事の任期を連続3期までとする「知事多選禁止条例」の制定に賛成
政策と実績がしっかりしている松沢成文氏を尊敬していたし、その政治活動に期待していた。それだけに東京都知事選の立候補を撤回したことに失望してしまった。
受動喫煙防止条例を石原都知事が引き継いで行うのならば、それは歓迎する。しかし、同時に「知事多選禁止条例」という考え方に対して、石原都知事の4選を許容する姿勢は、どこをどう考えても一致しない。
政策が部分的に一致しても、私は石原都知事を応援できない。
「政治家は政策が命」
この様な考え方もある。その一方で、「政治家は立ち振る舞いが命」とも言える。私自身、短い政治生活の中にあって、政策的には共闘しないが、その立ち振る舞いが立派だと思った政治家を何人か知っている。逆に政策的には自分の考え方に近しくても、立ち振る舞いを見て、とても信用できない政治家とも出会ってきた。
さて、私はどちらのタイプの政治家と一緒に仕事をしたいかと言えば、政策的には違っても、立ち振る舞いが立派な尊敬できる政治家と一緒に仕事をしたいと思う。
今回の松沢成文氏の政治家としての立ち振る舞いは、誰がどう擁護しようとも、真剣に、この人に一票を投じたいと思って、選挙運動も応援しようと思っていた、一東京都民の私からすれば、誠にガッカリしたし、支持できない。
少なくとも私の政治家としての立ち振る舞いとは相容れない。そのことだけはハッキリした。
「やる」と言ったら必ずやる。結果的にやれないのだったら「やる」などと軽々しく言わない方がいい。優柔不断でなかなか決められないような人の方がまだいい。軽々しく「やる」なんて言っておきながら、結局「やらない」のは、優柔不断で、決断力がない人間よりもみっともない単なる「えーかっこしー」だ。
たとえ即断力に欠け、優柔不断であっても、熟慮を重ね、一度「やる」と言ったら、とことんまでやり抜く。そんな人が私には信用に足る人に思える。
「やる」というのは、「やる」努力を最大限するという意味であって、結果を求めてる発言ではない。
昔、「政治公約とは何か」を先輩議員から教えを請うた。例えば私が「高速道路は無料にします」と言ったとする。そのための言動を続けていたとする。それでも、結果として高速道路が無料にはならなかった。それは公約違反ではないという。
では、公約違反とは何か。それは「高速道路を無料にします」と言っておきながら、実は裏で「高速道路の有料化」を支持して、無料化とは真逆のことをやっている行為を公約違反だと言うのだ。そのように教えてもらった。
一般的の有権者からすると、何とも違和感のある「公約違反」の定義に聞こえるかも知れないが、有権者が期待する政治家像と実際の政治家像とのギャップがあまりにも大きく乖離している。もし、一般の有権者が期待する政策の実現を持って「公約」と考えてしまうと、日本の世の中には、全て不良政治家しかいなくなってしまう。私はそれほど日本の政治家が無能集団、いい加減に仕事をしている人ばかりではないことを知っている。これは自分自身の擁護ではなく、私が尊敬する政治家の尊厳を守るためにも、是非実態としての政治家の姿と限界と、本来期待すべきハードルの低さを有権者に求める。
実際に、何かをやろうと思っても、そのために動いても結果としてできなかったという政策は多々ある。その一つ一つが公約違反に問われれば、真摯に考えて、政治家は、自分が理想とする未来像を、有権者の前に披露などできない。大風呂敷になるかもしれないが、「こんな未来を作りたいのです」「こんな未来にしませんか」そのような主張が、政治家の選挙公約だと思って欲しい。
しかし、その一方で、個人の一存で決められることもある。立候補するかしないかなど、全ては個人の一存で決められることだ。外的要因は関係ない。自分自身が決めればできる事じゃないか。それができないとするならば、そんなに発言が軽い政治家は、松沢成文氏を最後に、もうこの世の中には表れないで欲しい。
思いやりを持って想像すれば、松沢成文氏にとっては、これは苦渋の決断だっただろう。しかし、この様に批判されることも覚悟の上の立候補取りやめだったに違いない。批判されることも織り込み済みだと思うので、私は精一杯、氏の発言と行動の軽さを批判する。
こうやって、私のように、多大なる期待をしていただけに批判する人もいるのだ。記者会見の時に、なぜ開口一番、立候補を取りやめたことに対する謝罪の言葉がなかったのか。言い訳から入るのではなく、まずは謝罪を。それができないと言うことは、政治家としてではなく、人の対応として全くダメではないか。
とってつけたように、「立候補しないこと」の理由に大震災の発生を持ち出して説明すれば、これまたどうしても浅知恵による“もっともらしい理由”の演出にしか聞こえない。
私は2007年の亀田興毅選手の謝罪記者会見を思い出した。あれほど立派な謝罪記者会見を、私は他で見たことがない。どう考えても場が悪いあのような記者会見の席にあって、自分自身がサンドバッグとなり、いやらしいことこの上ないマスコミから、ネチネチと質問責めされてもなお、凜として堪え忍んでいる姿に、私は感動を覚えた。20歳の日本男子ができたことを、なぜ松沢成文氏はできなかったのか。
立候補を断念した記者会見に望むにあたって、批判を一人で一身に受けて受け答えしようとせずに、なぜ保護者2人も同伴でその場に臨んだのだろうか。仲良し3人組がそろいも揃って、「やっぱり立候補やめました記者会見」を開くとは、何とも生理的に気持ち悪い。
政治家の発言や情熱よりも、首都圏連合という枠組みがそれほどまでに重要ならば、今後の松沢成文氏は、政治家を辞めて、石原都知事の下で、その行政能力を遺憾なく発揮すればいい。それでも充分、個人の能力は発揮できる。
一度失った信用は、そう簡単には回復はしない。
2011年03月15日