田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

原発誘致は、双葉町自身が決めたこと。それについて。

町ごと避難、心強さも不安も 福島県双葉町の1200人
2011年3月20日3時0分 asahi.comより


 福島第一原発の事故で、避難を指示されたり、周辺地域で危険を感じたりした人が、避難先を求めて全国に散らばった。原発近くで役場が退避を迫られた町村も「漂流」。事態が収まる見通しが立たないなか、町村長や住民は焦りを募らせている。
 福島第一原発5、6号機がある福島県双葉町。町長や町民ら約1200人は19日、埼玉県に避難した。町災害対策本部を含む町の機能も事実上移すという。人口は約6900人。このうち約2200人は震災の翌12日、福島県川俣町の避難所に避難。事故が深刻になると、県外への再避難を決定。ほかの場所に再避難する人を除き、埼玉県が受け入れることになった。
 19日午後2時すぎ、さいたま市の多目的施設「さいたまスーパーアリーナ」。双葉町民を乗せたバスなど約70台が続々と到着した。大半はマスク姿で、大きなリュックを背負ったり毛布を抱えたり。疲れた表情で避難生活を送るアリーナの通路に入った。埼玉県は夕食の弁当3千食を用意して迎えた。
 「不安な毎日だったが、埼玉県知事をはじめ、みなさんから温かいおもてなしをいただいた」。井戸川克隆町長(64)は、ほっとした様子を見せた。集団避難の理由については「1カ所に集中し、町民のみなさんに対応した方が効率的」と説明した。
 先頭のバスに乗っていた紺野智美さん(38)は「命からがらに逃げてきたので、温かい心で受け入れていただき感謝です」と話し、涙を流しながら階段を上った。でも、「この生活がいつまで続くのか」と不安も見せた。
 「親戚もいっぱいいるので、助けあえて心強い」と話す高野サダ子さん(75)は、ボランティアに両脇を支えられて入館した。故郷への思いは募る。「なんで原発をつくったのか……。復旧には期待も不安もある」
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 部品脱落事故を起こした福島第二原発3号機が、ようやく運転再開にこぎつけて一年も経たない1991(平成3)年9月25日、福島第一原発の地元である双葉町議会が、原発増設要望を議決した。


 佐藤栄佐久「知事抹殺」平凡社53ページより
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 福島原発がある双葉町の町民からすれば、「なんで原発をつくったのか」という気持ちが嘘偽りない本当の気持ちだろう。そこに何の疑念も持ちはしない。ただし、原発誘致はそれ自身、町民自らが望んだ結果だったという事実についても、私は言及しなければならない。これをもって、今回の原発事故について、「なんだ。自業自得じゃないか」そう思われる読者がいるかもしれない。
 少し昔の私ならば、同様に考えて、今回の災害は地元住民が要望し、同意し、それに伴う見返り施策を受け入れた結果、起こるべきして起こった事故であって、ご本人達が同意した以上、今回のように事故が起きてからガタガタ言うのは、おかしいのではないか。そう考えたに違いない。事実、今でも少しはそんな感覚がないわけでもない。


 しかし、「取調の可視化」について勉強すればするほど、警察に逮捕された被疑者たちが、やってもいない犯行を「やりました」と自白してしまう事例を数多く知った。経験と想像力がない者、それと屈強な精神力を持つ一部の豪傑たちは、「やってもいない犯行を『やりました』などと言うはずがない」と信じて疑わない。人の弱さに対する洞察力が働かない。現に、過去の裁判長たちは、どんなに法的知識がある人でさえ、強い圧力を受けたときの人間心理の理解やそのような経験をしていないがために、いとも簡単に、強制自白を、事実の吐露だと思い込んでしまう。その結果が、「本人が自白したのだから」という理由により有罪判決を出している。あとでこれらの事件が、冤罪事件ではないかと言われることなど、裁判長にとっては想像もできなかったことだろう。
 未来に展望がもてない、絶望的な状況下にあって、少しでも助かりたいという「人間誰しもが持つ弱い気持ち」故に出てしまった強制自白の存在が理解できない。それほど、警察、検察の取り調べが、過酷を極めることなのだと言うことが、想像さえできないのだろう。


 どうだろう。警察や検察を国に置き換え、逮捕された被疑者を双葉町として考えられないだろうか。
 福島県知事を経験した佐藤栄佐久氏を持ってして、地元県知事が全力で対峙したところで、原子力政策はどうにかなるようなものではない国策事業なのである。
 双葉町議会が賛成しようが反対しようが、原発政策は問題なく実行されたに違いない。それならば、従順さを装って、少しでも有利な条件を引き出したい。そんな絶望的な運命を仕方なく受け入れる被疑者のように、双葉町議会は原発の増設要望を議決したのではないだろうか。


 もし私の想像が正しければ、今ここで双葉町を批判することは、冤罪被害者に、「あなた自身が『やりました』と自白したじゃないですか」と、冤罪における第一の責任が、さも疑われた本人にあるかのように責任追及するようなものだ。
 組織対個人のような、圧倒的な能力差があるにも関わらず、個人におけるわずかな過失を過大評価し、その一点において、個人を批判し続ける行為は、ヤクザが因縁をつける手法にそっくりだ。


 あまりにも無力な双葉町が、原発を誘致してその後どうなったか。同じく「知事抹殺」の中から引用して、この文章を終わりとする。
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 案の定、事態はもっと悪い形で繰り返されることになった。私が知事を辞めた後の2008(平成20)年、双葉町は福島県内で財政状況が一番悪い自治体になってしまい、新しい町長は税金分以外無報酬とするところまで追い込まれることになった。


2011年03月24日