田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

t_ken

日刊田中けん

航空機による二次災害が、大震災によって発生する可能性

大震災によって発生する航空機事故の可能性


http://labaq.com/archives/51640449.html


 東日本大震災直後に、成田空港へ着陸を予定していたデルタ航空の機長による、ネットに投稿された手記を、以下全文紹介する。



成田空港の乗務員用のホテルの中からこれを書いている。なんとか今は無事でいる。


これは私の初の太平洋横断で、国際便767の機長として興味深いフライトだった。過去に大西洋を3度ほど横断しているので海の横断経験はあった。アリューシャン列島の美しい景色を超え、東京から100マイル(約160km)の地点で着陸の降下準備を始めるまでは順調なフライトだった。


トラブルの最初の兆しは、日本の管制塔が「待機経路」(着陸許可を待つ機が楕円に飛ぶ周回路)の指示を出してきたことで、最初はよくある混雑だと思った。すると会社側が地震のメッセージを送ってきた。その直後には「成田空港が一時的な点検のため閉鎖、しかしすぐに再開するであろう」との見解が入ってきた。(会社はいつも楽観的なんだ)


我々の見解からすると明らかにいつもと様子が違った。日本の管制官の不安レベルはかなり高いようで、待機がいつまで続くかわからないと伝えてきた。我々はそんな状況下で時間を保証してくれる者など誰もいないことを知っていた。副操縦士と交代要員の操縦士の二人は、コース変更可能な迂回先と燃料確認に忙殺されていた。当然太平洋を横断してきたことから燃料の残量値は低い。


10分も経たぬうちにエアカナダ、アメリカン航空、ユナイテッド航空の機長たちが、他の空港へのコース変更をリクエストし始めた。全機が最低限の燃料しかないと主張している。当機の燃料は1時間半~2時間ほどフライトできる残量だった。言うまでもなくこのコース変更により、ことは複雑になった。


やがて管制塔が成田空港は被害を受けたため再開できないと知らせてきた。各機はすぐに羽田への着陸を要請し、6機ほどのJALや欧米機がそちらへ向かった。ところがその後で管制塔が羽田も閉鎖したと伝えてきたんだ。おっと、もはやここで待機している場合じゃない、さらに遠方の大阪や名古屋も考えなくては……。


大型旅客機の欠点は、そこらの小さな空港にぽんと着陸できないことにある。大きく立派な滑走路が必要なんだ。さらに多くの飛行機が西からも東からもやってきて渋滞し、全機がこぞって着陸を待っている状況だ。いくつかの機体は燃料の危機を伝えている。管制塔は圧倒されている。


この混乱の中、名古屋空港から着陸許可が下りた。燃料はまだ大丈夫だ、なんとかなっている。ところが数分ほど名古屋に向かったところで、管制塔から引き返せとの命令が来た。名古屋も飽和状態でこれ以上の飛行機を引き受けられないと言う。さらに大阪も同じとのことだった。


もっと遠方へ飛ぶ可能性が高くなり、OKだったはずの燃料はいきなりギリギリの状況に陥った。さらに我々と同じ状況の飛行機が周りに十数機もあり、全機がどこかに着陸許可を出してくれと脅している状態だ。そこへエアカナダともう1機の燃料状況が「緊急」となり、軍の基地に向かい始めた。東京に一番近いのは横田基地である。もちろん競うように我々もそれに参加した。だが横田から返ってきた回答は「閉鎖」。スペースが無いということである。


もうこうなるとコックピット内は、さながらスリリングなサーカスとでも言うべきだろうか。副操縦士は無線にかじりつき、私は判断を下しながら操縦、交代要員の操縦士は航路図に埋もれながら、どこに行けるかアトランタからやってくるメッセージとにらめっこしている。そこで三沢基地を選んだ。本州の北側にあり、残りの燃料でもたどりつけそうだ。管制塔は大混乱の東京から我々が去ってほっとしているようだが、どうも仙台に送ろうとしていたみたいだ。そこは小さな地域の海岸線の空港で、津波の被害が甚大なところである。


アトランタから今度は北海道の千歳空港まで行けるかとの連絡が入り、その他のデルタ航空機もそちらへ向かっていた。我々のコックピット内はひっくり返したような状況だ「天候確認、チャート確認、燃料確認、OK」。よし、なんとかたどり着けそうだ、これ以上の遅延が出ない限りは燃料は緊急状態に陥らないであろう。


三沢に近づくと千歳空港の着陸許可がおりた。重大な決断をするときの考え方が頭をよぎる。飛ばし過ぎた飛行機を、かなり離れた目的地へコース変更。そこでさらに状況が悪くなったら……。安全報告書はどう映るだろうか。


またもや管制塔から電波連絡が入り指示を待つよう伝えられる。悪夢である。状況は急速に悪化していく。東京上空で待機したあと名古屋へコース変更、また東京へ、そしてさらに三沢へ。十分だったはずの燃料はどんどん蒸発していく。その後の会話はわかりやすく言い換えるとこのような内容である。
「札幌管制塔へ デルタXX便、至急千歳空港への着陸を要請します。燃料の残量は少なく、これ以上待機できません」
「拒否します。現在混雑中です」
「札幌管制塔へ デルタXX便、緊急着陸を宣言します。燃料の低残量、千歳に直接入ります」
「了解、デルタXX便。千歳に向かうことを許可します。千歳との連絡を……」


もうたくさんだ。同じ待機パターンに入って重大な燃料問題を抱えてしまう前に、緊急着陸を決断した。このことで会社に書類を提出することになるが、どうでもいい。本当の緊急事態になるまで30分の燃料を残していたが、千歳に安全に着陸した。我々を引き入れたのはへんぴな滑走路で、さらに他の数機が舞い降りてきた。結果的にデルタの747が2機、我々を含む767が2機、777が1機、すべて移動式のタラップを取り付けられた。さらにアメリカン航空2機、ユナイテッド航空1機、エアカナダが2機も降りて来た。もちろんその後いくつかのJALや全日空がやって来たのは言うまでもない。


追記:9時間後にようやく日本航空の搭乗用はしごが届き、飛行機から降りて入国を済ませることができた。しかしそれはそれで、また別の興味深い経験となった。この文章を書いている45分の間にも4回ほど地震の揺れを感じたところだ。
-------------------------------
 今、日本は地震と津波と原発事故の三重苦、それに計画停電という四重苦に苦しめられている国民がいて、とてもそれ以外の災害について思いを及ばせる余裕はないかもしれない。
 しかし、一歩間違えば、今以上の大惨事が、この日本を襲っていたのかも知れないと考えると、ゾッとする。
 燃料切れの航空機が落ちてくる。それもたった一機とは限らない。何百人も乗客を乗せた機体が次々と落ちてくるのだ。それはまるでミサイルのようだろう。しかし、ミサイルと違うのは、そこに人が乗っていると言うことだ。乗客、乗務員は、パニックの中で何とか助かろうと必至になって着陸を試みるだろうが、その空港は大渋滞。大渋滞の中で無理矢理、着陸しようとするのだから、事故が起こらないわけがない。仮に無事に着陸できたとしても、自分たちが乗った飛行機が、逆に“ぶつけられる側“にならないとも言い切れない。着陸待ちの機体は空港上空に何機もあるわけだし、次から次へとやってくるのだ。乗客にとっては、飛行機から降りて、空港を出るまでは、ずっと緊張状態まま過ごすことになるであろう。
 空港は大渋滞である。周辺の空港も玉突き現象により渋滞がさせられない。それに小さな空港では、ジャンボ機を着陸させるのに必要な4000メートル級の滑走路などない。ちなみに日本で4000メートル級の滑走路がある空港は、成田と関空だけである。
 そうなると、機長は比較的安全に空港以外の場所に着陸することを決断したかも知れない。幸いにも日本の国土の前は海だらけである。海上を滑走路に見立てて着水することも判断としてはあるだろう。しかし、実際にはそのようにして緊急避難した前例は、ほとんどないという。戦闘機のように丈夫な機体ならばいざ知らず、ジャンボ機のような旅客機に、水上着陸などは、到底できない芸当だそうだ。もし実際に行ってしまえば、機体は壊れ、多くの人命が失われかねない。


 今回の場合、実際には大事故は起こらなかった。それでも、このような教訓から、震災時における航空事故回避のためのマニュアル作りなど、飛行機が原因となる二次災害を防ぐための方策が強く望まれる。


2011年03月27日