禁煙政策の曲がり角
今回の区議会議員選挙において、私は禁煙政策を全面に打ち出して選挙戦を戦った。
しかし、自分が思ったほど得票数は伸びなかった。これが現実だ。
得票数とは、総合的に決まる物であり、一つ一つの政策がどれだけそこに関係していたかなど、簡単に結論づけられるものではない。
それでも、今回、「禁煙」という政策を取り上げたのは、これが昔から取り上げてきた私の政策テーマだったからだ。
タバコと言えば田中けんと言われるほど、タバコ問題と田中けんの主義主張は常に一致していた。普通、議員は同僚議員を誉めるなどしない。よって、「田中けんはタバコのことしか言わない」という悪口によって、私が反タバコ議員であるという認識は深まった。
それまるで小泉首相が「郵政民営化のことしか言わない」と言われてしまっていたことと同じである。
しかし、多くの有権者は昔から私がタバコ問題を熱心に取り上げて活動していた議員だとは知らない。例えば公報だけを見た場合、禁煙政策に熱心な候補者に一票を投じようとすれば、当然、タバコに関連した主張をしている候補者が、有権者にとっては意中の候補者となる。
あらためて公報を見てみると、以下の主張が書いてあった。
自民党:タバコポイ捨て取締り強化
公明党:ストップ歩きタバコ・ポイ捨てキャンペーンの実施で、区内施設の全面禁煙に向け、大きく前進
民主党:ストップポイ捨て!『環境美化』
主要政党に所属する候補者の文言である。
まさに禁煙政策は、自民党から民主党までが、取り上げる「普通の政策」になってしまった。16年前は、「タバコに反対などと言ったら、支持者が逃げる」とまで言われ、過激な主張だと言われてきた禁煙政策であったが、今や福祉や教育のように、比較的誰もが取り上げやすい、毒が薄まった、「普通の政策」にへと変化してしまった。
もちろん、これは禁煙を主張する政治家からすれば歓迎すべき現象である。長年にわたり言い続けてきた自分の主張が実現しつつある過程にあって、私だけでなく、より多くの議員が同様の主張をしているのだから、これほどの喜びはない。
しかし、自分の主張が実現すれば実現するほど、今ここで、私が禁煙を言い続ける必要性が薄れてきているのも事実である。
私のように、無所属かつ、たった一人で議員活動をしている者とは、いわばベンチャー企業のようなものだ。大手が取り上げない小さな市場で、活動することで、何とか食いつないでいるような企業である。
しかし、禁煙政策は、喫煙率の低下に伴って、多くの人たちの望みに変わってきた。多くの人たちが支持する政策、つまり市場が拡大することによって、大手とも言える自民党や公明党や民主党までも、この市場への参入を試みてきた。
いくら私が、この政策を昔から取り上げているとは言っても、有名な政党に所属する議員が、それを主張すれば、それはより信用性を持って有権者には伝わるだろうし、より安心感をもって認識されるだろう。
つまり、議員にとっては、自分の主義主張が実現しつつあるときこそ、自分自身が、そこにいる存在理由が無くなってしまった時なのだ。
逆説的だが、田中けんの主張が実現すればするほど、私の議会における存在理由は希薄になってくる。多くの議員が私と同じ事を言えば言うほど、私が議員である必要性が希薄になってくる。
議員とは何とも矛盾に満ちた存在なのか。自分の主義主張が実現しなければ、それは永遠のテーマとして、有権者から期待し続けられる存在として、生きながらえていけるのに対して、自分の主義主張が実現してしまうと、明日からは別のテーマを探して、主張しなければ、簡単に有権者から見捨てられてしまう存在なのだ。
実際に、今回の選挙戦では、ある有権者から連絡があって、「今回は、3名の候補者がタバコをテーマに主張されていますが、田中けんさんの禁煙政策について詳しく教えて欲しい」とのお声をいただいた。それを投票行動の参考にするということだった。事務所のスタッフが上手に対応してくれたようだが、本当に、公報だけを見て判断する有権者にとっては、同じような主義主張の中に隠された、実績や思いを推し量って想像することは難しかろう。
こと、選挙における集票的効果だけで言えば、禁煙政策とは、多くの方々から、反発されることが少なくなった分だけ、毒を持たない「普通の政策」に成り下がってしまったように見える。
私はこれまで、長く主張してきたテーマを、ある程度の実現可能なレールに乗せたことを持ってして、自分の仕事が終わったと認識した。今の私には2つの選択肢がある。1つは、同じ主張であっても、より細かく、踏み込んだ主張をしていくこと。もう1つは、新たなるマイナーな政策を見つけるための船出をすること。
とにかく、このままではダメだと、選挙結果は私に教え続けている。
2011年05月07日