田中けんWeb事務所

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日刊田中けん

被害者面する侵略国家の国民意識

【中国のブログ】続く国境紛争、中国は「最も多くの領土を失った国」
Y! 【コラム】 2009/03/20(金) 22:24 サーチナより


  日本は尖閣諸島や竹島などにおいて国境紛争を抱えているが、それは中国も同様である。このブログは過去から現在に至るまで、中国が略奪されたと主張する領土問題について、中国人ブロガーが自らの意見を綴ったものである。以下はその話題のブログより。
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  現在に至るまで、最も多くの領土を失った国家はどの国か分かるだろうか?それは中国である。尖閣諸島や南シナ海における群島を考慮しなくても、603.46万平方キロもの領土を失っている国家は中国を除いて他にはない。


  ロシアは17世紀の南下政策から始まり1921年までの間に444万平方キロの中国領を奪った。日本は中国から4600平方キロもの琉球群島を奪った。


  琉球王国の各種資料によると、1383年以来、歴代の琉球王は中国皇帝に冊封(中国王朝の皇帝がその周辺諸国の君主と君臣関係を結ぶこと)を求め、正式に君臣関係を結んだ。この関係は1609年、日本の薩摩藩が琉球に侵入しても継続されたが、1879年、日本は琉球王国を沖縄県と改名、残虐な同化・奴隷化政策を開始したのだった。


  インドは9万平方キロの南チベットを奪った。吐蕃王朝(とばんおうちょう:7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国)以来、チベットは今日に至るまで中国の管轄の下にある地域である。


  1914年、チベット政府とイギリス領インド帝国の間で隠密裏に取り決められたマクマホン・ラインは、中国歴代政府は承認したことのないものである。しかし、インド政府は1950年から53年にかけて派兵した上で領土を奪ったのである。62年、中国軍は中印国境紛争地帯に派兵、大規模な戦闘にまで発展した。


  上述の603.46万平方キロもの領土は17世紀から現在に至るまでに失ったものであり、このわずか300年の間に我々中国人が一体何をしたというのであろうか?現在の領土の半分以上の土地を失った事実は我々中華民族の恥辱であり、永遠の痛みでもあるのだ。
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 1945年に第二次世界大戦が終わって、アジアからは戦争がほぼ無くなった。そう思っている人は多いだろう。歴史の教科書を見ても、それ以降の戦争とは、朝鮮戦争とベトナム戦争のみであって、それ以外の戦争となると、教科書にその記述を見つけることが難しい。


 1946年、支那中国は1945年に日中戦争終結にもとなって、中国国民党と中国共産党が対立し、内戦に移行した。1949年に中華人民共和国が建国され、同年、台湾に中華民国が建国された。
 1950年から、支那中国はチベットに侵攻した。チベット解放を大義名分として、120万人もの人たちを殺したのである。
 1969年、支那中国は極東のソ連国境付近において、大規模なソ連との国境紛争を起こしている。
 1974年、支那中国は、ベトナムと西沙諸島において武力衝突し、西沙諸島を実効支配した。
 1979年、大量虐殺を行っていたカンボジアのポルポト政権と対立していたベトナムが、カンボジアに侵攻したことに激怒した支那中国は、新ポルポト的立場であることを理由に、ベトナムへの攻撃を開始した。
 1982年、支那中国はベトナムに砲撃を行い、中越国境紛争が起こった。
 1988年、支那中国は、南沙諸島、つまりスプラトリー諸島海戦によって、ベトナムから、この領地を奪って支配下に置いた。
 2010年、支那中国の偽装漁船を使って、日本との間に尖閣諸島紛争を起こした。


 支那中国は、多くの領土を失った被害者との認識をもつ支那人がいるようだが、実態は違っている。私の認識では、支那中国こそが加害者、または当事者であって、支那中国こそが、第二次世界大戦以降の東アジアにおける平和と安定を乱してきた張本人である。
 我々日本人は、支那中国との国境紛争に悩む諸外国と連携をしながら、常に支那中国の侵略的野望に対して警戒を怠ってはならない。


2011年06月03日