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日刊田中けん

21世紀に芸術と言われるものの起源

18世紀の仏王侯貴族 愛人の裸体を回覧する“露出プレイ”
(2012.01.21 ZAKZAKより)


 セックス・アートは世界各国に存在するもの。各地によって由来や目的は異なるものの、フランスの場合は「絵画を通したスワッピング」だと解説するのはフランス文学者の鹿島茂氏だ。以下、同氏による解説。


 * * *


 18世紀のロココ時代、フランスでエロティック・アートが増えたのは、王侯貴族の文化的洗練度が高まったからだ。といえば聞こえがいいが、要するに王侯貴族は多くの美女を直接抱くだけでは飽きたらず、変態的なイメージを欲しがるようになった。


「衣食足りて変態を知る」。エロティック・アートのみならず、のぞき見、SM、フェティシズム、それにレズビアニズムといった現代のアダルト・ジャンルはすべてこの時代に出揃っている。それらは、脳髄のエロスに応えるために生まれたものだった。


 確かに現代女性の裸体を描いてはいけないとされていた時代ではあったが、逆にいえば、聖書とギリシャ神話に題材をとりさえすれば、どんなエロティックでスケベな絵でも描くことができたということだ。


 18世紀までの絵画は、王侯貴族の注文に応じて画家が描くもので、そこに描かれている裸の美女のほとんどが注文主の愛人だった。注文主は自分の寝室に飾って最初はひとりで楽しんだが、そのうち仲間内で「どうだ、オレの女はすごいだろ」と見せ合って自慢するようになった。絵画を通して、スワッピングをしていたと考えればいい。


 この時代の絵柄としては、女の子がお尻を向けて体をひねっている構図が代表的だ。ブーシェの『オダリスク』もこの構図だが、この絵には面白いエピソードがある。プレイボーイで有名な作家のカサノヴァがある日、宿屋の娘を裸にしたところ大変きれいだったので、知り合いの画家に描かせたら、その絵が回りまわってルイ15世にたどり着いた。ルイ15世はその娘を気に入って愛人にし、最初と同じ絵柄でブーシェに何枚も描かせ、周囲に自慢したという。


 要するに今、ルーブル美術館などを飾っているエロティック・アートのほとんどは、王侯貴族の“露出プレイ”の産物なのである。


 ロココの時代からフランス革命前後になると、エロティック・アートが王侯貴族からブルジョアまで降りてくる。と同時に、反権力としてのエロティック・アートも生まれた。革命家たちは、権力とともに、エロティックなものを禁圧していたキリスト道徳とも戦った。革命家たちは、王侯貴族や僧侶の権威を失墜させるため、彼らをポルノの題材に仕立ててばらまいたのだ。それは抵抗としてのエロティック・アートだった。


 そして最後に、ポルノグラフィとして描かれるものと、芸術として描かれるものへの分化が起こる。エロスを瞬間の美と捉える、印象派の時代の転換だった。


※週刊ポスト2011年9月2日号
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 東京都が、青少年保護育成条例の中で、規制対象にしたのが、
マンガ、アニメ、映画、小説、ゲーム等における未成年の登場人物が行う
「性交又は性交類似行為」である。
 それに伴って、事実上の性的表現の規制を狙っていたのは間違い無い。


 しかし、21世紀の今現在、高尚な芸術だと思われている作品が、
どのような出自にあって、現代における価値観を獲得してきたのか、
芸術史を少しでも勉強すれば、現代においても十分「いかがわしい物」
と思われるような、性的に不道徳で変態な作品が、
「芸術」に祭り上げられている実態を知ることになる。


 東京都に代表される安易な性的表現の規制は、
未来の大いなる「芸術」に対する冒涜的行為とも言えよう。


 事実、過去には、レオナルド・ダ・ヴィンチ『レダと白鳥』は、
当時の価値観に合わないと言うことで、意図的に破棄されてしまった。
同様に、同じ主題のミケランジェロの作品も破棄された。
 この様な芸術に対する冒涜を、東京都は「現代の価値観のみ」で行っている。


 芸術と言えども、その出自は、所詮、当時のポルノだと理解されれば、
現代のポルノを規制対象にして、その表現さえも許さない風潮が、
どれだけ「芸術を解さない者の仕業」か、ご理解いただけるだろう。


 ポルノが芸術に昇華するには長い年月を要する。
今現在、理解されない価値観であっても、
我々がそれを規制したり、破棄してしまえば、
それは、我々の子孫である未来人に対して、
禍根を残すことになりはしないだろうか。


 例え今、自分たちが理解できない文化であったとしても、
それを表現として残すことぐらい、
未来に人間の文化をつなげる現代人の責任として、
私は守ってゆきたい。


2012年01月24日