政治家を支える信念の根拠
友人と議論をして、ふと思ったのだが、
政治家を支える信念は、何に根拠づけられているのだろうか。
例えばエネルギー政策一つを取ってみても、
これからは石油も枯渇するし、
新しい政策として、原子力は必要だ。
この考え方も、政治的判断の一つだろう。
しかし、2011年3月11日以降、反原発の気運はとても高まっている。
それでも、原子力政策が必要だとする専門家からすれば、
一つ一つを丁寧に論破できるだけの科学的根拠は、
きっと持っているのだろう。
科学的に素人である政治家が、
原発に対して、肯定、否定どちらの
立場に立つにせよ、
私は一度決断したら、
それはそのまま押し通し、
ぶれない方が良いと思う。
ただし、そのぶれない根拠を
科学的な事象に置き換えてしまうと、
それはいとも簡単に、
専門家の干渉を受けることになるであろう。
私は政治家の信念を支えるのは、
とどのつまり科学的思考だけでなく、
根底の所では、非科学的な思い込みによる
非合理的なものに支えられないと、
意志を貫くことは難しいと思う。
それは宗教的思考と言っても良い。
もちろんその決断は、根本的に間違っているかも知れない。
ただし、それがわかるのは100年後の歴史学者だ。
それならば、渦中にいて、
充分でかつ相反する科学的知識も参考にしつつも、
自分の判断を信じて、選ぶしかない。
なぜこの様に考えるのかと言えば、
民主党政権を見てもわかるとおり、
選挙時のマニフェストと今の政権運営が、
あまりにも違いすぎるからだ。
民主党の議員達は、政権を取った途端に、
官僚たちから執拗なレクチャーを受けて、
彼らの代弁者に成り下がってしまった。
丸め込まれてしまった。
これでは自民党も民主党も変わらない。
マニフェストに書かれた国民との契約を
簡単に反故にしてしまう信用なら無い政党と化した。
次の選挙で、またマニフェストを作るのだろうが、
誰がそんな作文を信じるのだろうか。
自分の主張と合う、合わないの問題では無い。
国民との約束を愚直に行うのか、行わないのか。
契約に対する信用問題である。
よって、民主党に対する不信感は相当根深い。
民主党には、官僚が何を言おうとも、
自分たちの意志に従わせるだけの剛胆さを持った
政治家がいなかったのだろうか。
小沢一郎にその期待をしたが、氏は今のところ、
反主流派であり、民主党全体を導く立場にない。
今の民主党を見ていると、
政策以前の問題として、
政治家の立ち振る舞いとして、
「何をしてはいけないのか」
それを強く教えてくれている。
2012年01月27日