政治家は、政策が実現したら成仏するのか
アニメ「Angel Beats!」(以下、AB)とアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(以下、あの花)を見た。【軽くネタバレ注意】
どちらも幽霊の話だ。厳密に言うと、ABの設定は、ちょっと複雑なのだが、幽霊と言ってしまっても差し障りはないだろう。
両作品に共通する命題は、「幽霊は成仏したら消えて無くなるか」ということだった。
ABでは登場人物全てが、あの花では“めんま”が、幽霊としての対象者だ。
幽霊として、その場に居続けると言うことは、現世で何らかのやり残した思いがあるからこそ、居続けるのだと言う解釈だ。アニメの中では、主人公達が、なんとかしてその成仏できない幽霊を成仏させるために奮闘するわけだが、その様子が、面白可笑しく、時に悲しいドラマとなっている。
最終的に、その幽霊達は、自分たちの思いを遂げて成仏し、その場から消えて無くなる。ただし、幽霊と言えども、今までその場所にいた者が消える場面は、ドラマの中に残された者や視聴者にとって、とてもドラマティックに描かれていて、涙を誘う演出になっている。
ちなみに、こちらはホラー映画になるが、「リング」の中でも、「貞子を成仏させれば、災いは収まるのか」という思いで、主人公達は動いている。
どうやら、幽霊とは、願いが叶い、思いが遂げられると、その場から消えて無くなる者と、多くの人たちに認識されているらしい。
さて政治の話である。政界に飛び込んでくる多くの人たちは、口を揃えて「○○を実現したいので、私は選挙に立候補しました」という。
それでは、政策に当たるだろう○○が実現したら、そのものは立候補を取りやめたりするのだろうか。この様な問題意識の中、私は、友人議員と「自分の政策が実現したら、自分は議員を辞めるか」というテーマを話し合った。
歴史を振り返ってもわかるように、自分の政策が100%実現するなどと言うことは、人生の全ての投げ出してでも、ほとんど叶わない。だから、命題の前提自体が本来ありえないことなのだが、「もし」の想像力を働かせて考えてみた。
答えは、「辞めない」だった。なぜならば、この世に生きている以上、問題は山積していて、一つの問題解決は、別の問題に関する興味関心を抱かせるだろうから、今度はその問題解決に動こうとするので、当選し続ける限りは議員を辞められないというのだ。
確かに議員という人種は、私も含めて、そんな人たちばかりかもしれない。
ただし、稀に年配議員の中には、一定の成果を理由に、引退を決意される方々もいる。でも実態としていえば、多くの議員たちは、自分の自由意志とは別に、志半ばで有権者から引導を渡され、落選して議員を引退する。
もし幽霊が、願いが叶ったとしても成仏せず、更なる要求を言い続けてきたら、どうだろうか。とてもやっかいで、“たちの悪い人”と言えるだろう。
政治の世界は、たちの悪い人たちで成り立っている。たちが悪いと思われても、そのぐらい生命力が無いと生き残っていけないし、政策など実現もしない世界だ。
ほとんどの願いは叶わない。
しかし、稀に願いが叶ってしまった場合、根源的に議員はその存在意味を失う。よって、もしその人が議員であり続けたいと願うならば、新しい問題発見能力に長けている人が、議員であり続ける資格があるといえる。
議員の能力として、次々と「ここに問題がある」と、気がついてしまう感受性豊かな人物だけが、長らく成仏もせずに、議員職を認められた存在に、きっとなり得るのだろう。生命力が豊かであるとは、このようなことなのだ。
私はこれからも、これまでの議員たちがあまり気づいていない「これが問題だ」を見つけ出して提案し、議論を巻き起こしていきたい。
2012年03月11日