集団的自衛権について
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
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これは、反ナチ運動の指導者マルティン・ニーメラーの言葉だとされている有名な詩である。
有名な詩であるからこそ、その意味はとても重い。
もっとわかりやすく現代風に書き換えてみよう。
中国共産党がチベットを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私はチベット人ではなかったから
ウイグル人が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私はウイグル人ではなかったから
彼らがベトナム、フィリピン、台湾を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私はベトナム人でもフィリピン人でも台湾人でもなかったから
そして、彼らが日本を攻撃したとき
日本のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
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今こそ日本は、自分たちの問題として集団的自衛権を考え、
それを認め、中国共産党の圧政に苦しむ支那内外の漢民族以外の
期待に添うべく、国際貢献をすべきではなかろうか。
支那中国の膨張主義が著しい中、
事は急を要する問題ではあるが、
集団的自衛権に対する私の考え方は、消極的賛成となる。
なぜ“消極的”というかというと、
日本国内にはまだまだ反対者が多いということで、
その人達と、じっくり議論をする時間を持つべきだという
考え方から来ている。
数や勢いで押し切ることなく、丁寧に支那中国の脅威を説明し、
ゴリ押しすることなく、話を進めていくのが良いと思う。
「ゆっくり急げ」
「早く歩け」
に近い感覚だと思って欲しい。
日本に友好的な親日国が支那に侵略されようとしているときに、
それを黙って黙認するような民族が、日本人だとは私は思わない。
日本は一刻も早く米国同様の台湾関係法を制定して、
台湾を侵略の魔の手から守らなければならない。
親日国家には、共に救いの手を。
反日国家には、それ相当の報いを。
2014年05月17日