人件費に対する日本人経営者の考え方
母の日に家族を連れて、外食に行ったことの話。
「家族で食事を」
この日に考えることは、どこの家庭も一緒のようで、店内は客であふれかえっていた。
ホール係の女性が、忙しそうに店内を小走りに移動していた。客が帰ったというのに、片付けがされていないテーブルがたくさんあった。
客があふれかえってしまうと、対応仕切れない、日本の外食産業におけるとても悪い風習を、またも目にしてしまった。
日本では少しでも経費を削ろうとして、ホールの人間を増やそうとしない。
ホールの人間が少ないから、料理が運べない。テーブルの上の片付けができない。対応が遅くなり、それが原因で、客からのクレームが発生し、そこでまた人員が対応し、ホールで動ける人間が少なくなる。
なぜ日本では、ギリギリの人数しかホールに置かないのか。
これは、私にとってとても不思議な現象なのだ。
海外のレストランでは、ホール係が小走りに走る様など、あまり目にしない。むしろ、「なぜこんなに人が必要か」と思うほど、無駄にホール係がいる場合を目にしている。
日本人的感覚では、ホールで立っているだけの人員は、余剰人員でアリ、必要が無い人員と思うのだろうが、考えようによっては、この余裕が、接客の丁寧さにも反映されるのだ。
人一人の余裕が、忙しくなったときでもサービスの低下を防ぐ“保険”と考えることはできないだろうか。私は是非、日本の外食産業のサービスを向上させるためにも、ホールにプラス1名の人員増を提案する。
さて、公務員の話である。
今、世は不景気ということもあって、「公務員バッシング」は嵐の様に凄まじい。実は私も、この公務員叩きを、これまでずっと先導してきたような立場にいるので、基本的なスタンスは、今も変わっていない。しかし、最近どうも叩かれすぎの気がしないでも無い。
「民間はもっと苦しい」
「何を今さら、そんなことを言うとは」
私の主張を方向転換と考え、前述したようなお叱りを受けそうだが、過ぎたるは及ばざるが如しである。やはり公務員は無闇矢鱈に叩けば良いものではなく、どこかに落とし所はあるはずだ。まだまだ公務員は叩かれるべきと思いつつも、一方で叩きすぎに注意と思う私も、今ここにいる。
つまり公務員叩きを、極論で言えば、公務員をゼロにする運動なのかということだ。そんなことを考えている国民は、一人もいないと思うが、公務員叩きの勢いは、ブレーキ感覚を伴って進まないと、公務員ゼロにまで行き着くぐらいの、暴走感もある。
優遇されすぎる公務員は叩いても良いが、ワークシェアリング的発想で、普通の労働市場では雇われにくい、身体障害者や高齢者、子どもの面倒を一人で見ている親などは、優先的に公務員枠で雇っても良いのでは無いかと思う。
またそこには、高額な賃金は発生しなくても、安定した職場と過剰労働にはならない余裕があっても良いと思う。
民間の競争激しい外食産業であっても、「もっとゆとりを」と私は思う。それだからこそ、官界における公務員の働きは、民間と違い営利を追求せず、ゆとりある働き方で良いのだ。もちろん、だからと言って、接遇などぞんざいな対応は許されないし、基本的な言葉遣いはもっと勉強すべきだとは思う。しかし、民間なみの忙しさを公務員に求めることは、根本的に間違っている。
それは、民間であっても、客を不愉快にさせるほどの忙しさを、現場に強いている日本の経営者の雇用判断も間違っていると、私は言いたい。
先日、過剰労働によって、高速バス居眠り運転事故が発生し、乗客7名が死亡、乗客乗員39名が重軽傷を負った事件が発生した。これはまだ皆の記憶に新しい。過度な価格競争によって、人件費が削られたことによる、不幸な事故だと私は記憶している。
そう。人件費を削ってはいけない。特に人員数を削ってはいけない。これは民間も官界も同じ事だ。
「税金の無駄遣いを許さない」という、今の過度な公務員叩きが、将来の日本というバスに乗る我々国民の中から、重軽傷者を出すことにつながらないことを祈って、私の政治的主張とする。
2012年05月18日