田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

精神科医による稚拙な「ゲーム・マンガ原因説」に反論する

“女児”への犯罪が多発するワケ…玩具扱いしてイタズラ
2012.09.06  ZAKZAKより
   


 女児が男に連れ去られる事件が相次いでいる。5日には、広島で小6女児が旅行かばんに押し込められ、3日には名古屋で小1女児がマンションに監禁された。いずれもいたずら目的での犯行とみられている。彼らはなぜ、ゆがんだ欲望を子供たちに向けるのか。


 暗い衝動に突き動かされる卑劣な犯行だった。広島県警が監禁の疑いで逮捕したのは、成城大2年の小玉智裕容疑者(20)。4日午後9時ごろ、広島市中区の路上で女児(12)を旅行かばんに押し込めて連れ去り、タクシーのトランク内に閉じこめた疑いが持たれている。


 「小玉容疑者は宿泊先のホテルに連れ込もうとしていた。『いたずらしたかった』という趣旨の供述をしており、発覚しなければ女児は長期にわたって性的被害を受ける危険があった」(捜査関係者)


 名古屋の女児監禁事件同様、年端もいかない子供を性的な対象にして連れ去る容疑者の心理はどのようなものなのか。


 精神科医の日向野春総氏は「その場で衝動的に性的暴行せず、連れ去ろうとするのは女児をモノのように扱っている。彼らが女児に向ける視線は生身の人間に対するものではなく、玩具やペットに向けられるようなものに近い。こうした思考が形成されるのは、(幼少時からの)成育過程などが密接に関係している」と解説する。


 内的要因のほかに環境という外的要因が関係する場合もあり、日向野氏は「幼児性愛をテーマにしたゲームや漫画に刺激されて現実世界と混同し、犯行に及ぶケースがある」と話す。


 女児をかばんに詰め込んだ小玉容疑者のものとみられるネット上の書き込みのなかには「幼児をテーマにしたアニメへの興味が示されていた」(捜査関係者)。広島県警でも犯行との関連性に注目している。


 都内の繁華街を歩くだけでも、小学生ぐらいの女児にきわどい水着を着せるわいせつなDVDが書店の商品棚に並んでいるのが目につく。幼女を模したアニメキャラクターを「監禁調教」するパソコンゲームも少なくない。社会に氾濫する悪質なポルノが、女児をねらう犯罪を助長しているとしたら…。子供を守るための取り組みが急務だ。
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 精神科医ともあろう方が、なんでこんな稚拙な推論しか披露できないのか、
理解に苦しみます。


 詳しくは、私の日記で前述してあるので、こちらをお読みいただきたい。
http://www.t-ken.jp/diary/20101216/
 実に2年前に書いた日記です。
 あれから状況や、この手の専門家による見解は一歩も変わっていません。


 簡単に反論すれば、SMのサドの語源にもなっているマルキ・ド・サド文学を
どのように評価するのか、“気になります”。


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サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。
(Wikipediaからの引用)
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 サドの作品の中では、まさに個人の“趣味”や性癖のため、
女性の四肢を切り刻むような快楽殺人の様子が書いてあります。
猟奇殺人だけでなく、肛門性交も含めた異常性欲を扱った場面も数多く存在します。


 つまり文学とは、道徳的である必要性はないし、
宗教的で無くても構わないし、
法律的な制約を受ける必要も無いし、
他人の迷惑顧みず、私的なる“究極の自由”を目指しても構わない。
 そういうことです。


 サド文学は、これまでの、いや現代においても
社会的価値観に沿って、小さくまとまり、
“よい子”になろうとした文学に対して、
強烈な批判を加えています。
 だからこそ、多くの著名人達が、サド文学を高く評価し紹介している訳です。


 なぜ反社会的な言説が許容されるどころか、
高く評価されるのか。
 それは、それが文学だからです。
 架空の作り話、絵空事だからです。


 つまり、この精神科医は、文学が何たるかを分かっていない。
「文学とは何か」
 この質問に対して、
「言葉を連ねた文章を使って人を感動させるもの」
 このように答えた方がいますが、
それならば、ゲーム・マンガ・アニメなどは、
「作られた映像や音声を使って人を感動させるもの」
 と定義づけられます。


 もしこの精神科医が、「ゲーム・マンガ原因説」を唱えるのであれば、
サド文学をどう評価するかを、答えなければなりません。
 更にサド文学は評価するが、ゲーム・マンガは評価できないとなれば、
文字による表現活動と、映像と音声による表現活動の差について、
明確に、映像と音声のみが規制されても良いという理由付けをしなければなりません。


 昔読んだネットのコメントで、面白い説がありました。
 もし本当に「ゲーム・マンガ原因説」が正しいのならば、
現代人の若者は、恋愛シミュレーションや恋愛マンガをたくさん読んで、
大いに影響を受けているはずだ。
 こんなに影響を受けているのだから、
彼女の一人や二人はできていてもいいようなものだが、
自分自身(ネットに投稿した筆者自身)は、
これまで彼女ができたことがない。


 この様に架空の物語が、あたかも現実に対して何らかの
影響を与えているかのような現象に対して、
私は、千葉大の学生時に、加藤尚武教授から、以下のように習いました。


「原因と結果は、簡単に倒置する」
 つまり、女児を強姦するような、ゲームやマンガがあるから、
女児を強姦するような事件が起こるとも考えられるし、
そのようなゲームやマンガがあるからこそ、
それが代貸行為となって満足してしまい、
現実には犯罪を犯さなくて済んでいるとも考えられると言うことだ。


 少なくとも、後者の原因と結果を倒置して考えてみると、
マルキ・ド・サドが実際には、殺人を犯していなかったり、
恋愛シミュレーションや恋愛マンガを楽しむ人たちが、
実際には恋愛体験が無かったりすることの説明もつく訳です。


 そう考えれば、日本には女児を強姦するような
ゲームやマンガがあるからこそ、
それを行うことによって、代替としての欲望が満足してしまい、
そのような欲望を持った人たちによる実際の犯罪は、
そのほとんどが未然に防がれているとも考えられます。


 論理的には、この様な考え方も成立します。


世界各国と比較すれば、日本ほど犯罪発生率の少ない国はない。
 これは厳然とした事実なのです。


2012年09月07日