大人の空間に子どもを入れてはいけない
この前、とても静かで雰囲気の良い喫茶店に行った。
私はココアを飲みながら、BGMとして流れてくる聖歌を聞いていた。
隣の客には子どもが座っていた。
小さな子どもであるが故に、静かにしていなかった。
パンパンパンと何度も手を叩くのだ。
パンパンパン。パンパンパン。
私は従業員を呼んで、隣の客を静かにさせるように注意した。
パンパンパン。パンパンパン。
子どもは何度も手を叩くことを止めなかった。
「うるさいよ」
隣の客を直接注意する私の声が、全体の静寂を阻んだ。
「障害があるのです」
その子の親は、このように言った。
「そんなことは知らない」
私はその言い訳を、即座に否定した。
緊張した雰囲気を察してか、すぐに従業員が私の所にやってきた。
「申し訳ありません。障害のあるお子さんとはお聞きしていたのですが・・・・・」
「障害の有無にかかわらず、騒ぐ客は他の客にとって迷惑でしょう。なぜ店は注意しないのですか。私がこのように直接注意すれば注意できるけども、それだと大事になると思ったから、店からの注意を期待したのですよ。なぜ最初から動かないのですか」
私はそう言って、店の遅すぎる対応を批判した。
「お客様、あちら側に席が空いていますので、もしよろしければあちらの席に移られることもできますが、いかがいたしましょうか」
「わかりました。では移動させていただきます」
私が席を移動してしばらくして、
手を叩き止まない子どもを含めた家族は、店を去って行った。
「お客様、先ほどのお客様が帰られましたので、元の席にお戻りになることもできますが、いかがいたしましょうか」
「じゃー、そうしてください」
私はこの様に言って、元の席に戻った。
日本は子どもを注意しない文化になってしまった。
それは単に一般の人だけで無く、
職業として、その場の管理責任者であっても同じ事なのだと私は思った。
さて、振り返って江戸川区議会である。
今、私は文教委員会に所属しているのだが、
委員会が委員会だけに、
委員会室に小さな子どもを連れてこられるお母さんがいる。
子どもにとってはつまらない委員会の部屋である。
子どもがじっとしているはずがない。
当然、騒ぐ。
それにも関わらず、委員長をはじめとして、
副委員長も誰もその子どもも親も注意しない。
退室を命じない。
あくまでも親の自主的判断による退出を暗に期待するだけであって、
直接的には言わない。
果たしてこれで良いのだろうか。
本来は、その場を仕切るべき立場にある委員長の仕事なのだが、
委員長がそのような仕事をしなければ、
一委員である私が、その子どもに直接注意しなければならなくなるだろう。
そうあの時の喫茶店の時の私のように。
中長期的には、庁舎内に、保育室や児童室を作って、
傍聴希望の親子に関しては、小学生以下の子どもに関しては、
委員会を傍聴できないことを説明して、一時的に、別室で待機してもらうことを議会として考えなければならないだろう。
しかし、短期的に言えば、子どもを委員会室に入れてはいけないルールを確立すべきである。
とにかく大人の空間に子どもを入れてはいけないのだ。
2012年09月24日